アユタヤ

1993年6月20日、観光2日目はバンコクからアユタヤまで足をのばしました。バンコクからは鉄道で2時間くらいでしょうか。

社内の放送などは当然タイ語なので、聞き取れません。アユタヤ駅についたとき、そこがアユタヤなのかよく分かりませんでした。そこで他の乗客に聞いたのですが、違うというよなジェスチャーをします。従ってそのまま乗っていたのですが、やはりそこはアユタヤ駅だったのです。

仕方なく次ぎの駅で降りたのですが、一駅の間隔が相当あった上、次の駅は駅前広場もタクシー乗り場も何もない、無人駅に近いものでした。戻りの列車を確認しても、何時間も先のようです。途方にくれたのですが、遠くに車が沢山通っている通りが見えます。あそこまで行けばヒッチハイクも可能だろうということで暑い中歩きました。

ところが途中でトゥクトゥクが止まっています。アユタヤへ行きたいと告げたら、いいよということでものの10分程度でアユタヤに到着できました。

実はアユタヤ駅で、ここがアユタヤ駅なのかと他の乗客に聞いた際、私は鼻の調子が悪かったので、鼻の穴にちり紙を入れていました。その容姿が怪しかったので、恐らく「あっち行って」というジェスチャーを「ここは違う」というジェスチャーに勘違いしたものと思われます。

まあこんなアクシデントはあったものの、大した時間のロスもなく無事観光を開始することができました。今回の旅行で唯一の世界遺産です。


ワット・ヤイ・チャイ・モンコン

ここは14世紀の中ごろ、アユタヤ王朝の初代王であるウートン王がスリランカから帰国した修行僧達の瞑想場として建立した寺院で、別名「ワット・プラ・チャオプラヤータイ」とも言われます。18世紀後半、ビルマ軍の猛攻によりアユタヤ王朝が崩壊した際も幸い市内から少し離れた場所にあるため、戦火は免れ残りました。

 
こちらの見所はやはりこの涅槃仏


 

前述のような戦火を免れたので、他のアユタヤの寺院と違い仏像が破壊されてません。ちょっと同じ格好をしてみました。


 

仏塔も大体原型を留めているようです。


 

仏塔下の大きな仏像も健在です。


 

仏像は破壊されていないだけでなく、とても綺麗ですね。


 


アユタヤ日本人町跡

アユタヤにあった日本人町の跡だそうな。石碑には「アユチア」って書いてありますが。


 


ワット・プラチャオ・パナン・チェン

アユタヤにはビルマの破壊によって廃墟のような遺跡が多いですが、こうして黄金の仏像がある寺院もあります。




沢山の人が参拝に来ていました。現役の寺院ということですね。


ワット・ローカヤスターラーム

仏教寺院の廃墟。短くは「ワット・ローカヤスター」とも言われます。建設は後期アユタヤ王朝中期で、当時は他の仏教施設もあったということですが、アユタヤ王朝陥落時(1767年)に大部分がビルマ軍の破壊に遭い、現在は涅槃仏のみが残ってます。

その涅槃仏をバックに。



ちょと別の角度から。


ワット・プラ・シー・サンペット

アユタヤの王の遺骨を納めた3本の仏塔を含む仏教的施設ということで、寺ではないようです。

 

 
大きな破壊を受けた他の仏塔遺跡と比べ、漆喰などが当時の状態をよく保存しているため、アユタヤ時代の建築がそのまま見ることの出来る貴重な遺跡だそうです。


こんな仏像もありました。 


ワット・ラチャブラーナ

1424年、8代目の王が王位継承争いで死んだ二人の兄たちのために建立した寺院です。

とうもろこしのようなこの仏塔がシンボルです。

 
こちらはアユタヤの遺跡の多くがそうであるように、ビルマに徹底的に破壊されたので、まだ500年くらしかたってないのに、かなり廃墟といった感じで、まるでローマ遺跡ですね。

 
仏像もがあるものがありません。


ワット・マハタート

ワット・プラ・マハタートは1374年の建立とされる仏教寺院です。アユタヤ王朝は1351年に始まったとされていますから、まさにアユタヤ王朝の初期に建立されたものです。

この寺院には高さ44mの仏塔を建立したといわれていますから、アユタヤ王朝では象徴的な重要な仏教寺院の一つだったということができます。なお、高さ44mの仏塔はビルマ軍の侵攻を待つこともなく崩れてしまっていたようです。

ワット・プラ・マハタートに来る観光客のほぼ全員の関心は、下の写真にある木の根に覆われた仏頭でしょう。アユタヤ観光の一つのハイライトと言っても良いかもしれません。ビルマ軍によって斬りおとされ放置された仏像の頭が、長い年月の間に木の根の中に囲い込まれてしまった様子が分かります。


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