メキシコ・中米旅行ハプニング集

2017/12/17

やはり発展途上国です。アメリカやヨーロッパなどの先進国では考えらえないようなハプニングもありました。

東ヨーロッパのハプニング集のようにハプニングが多い時は1日おきくらいにあったので、まるで旅日記のようになってしまいました。


ユカタンに行けない

1990年12月11日、昨晩ラレードを立って夜行バスでメキシコ・シティに着きました。まずは予定していた日本人の溜り場宿アミーゴに向かいチェックインを済ませます。それからこの先に行くベリーズのビザをとるためベリーズ大使館にいきました。パスポートを預けて申請だけ出して(受け取りは明日)、すぐに東バスターミナルへ向かいました。

ここからグアテマラ・シティまでのバスチケットを買うためです。しかし並んだバス会社はコンピュータが導入されていません。そのためそれほど沢山並んでいた訳ではないのに非常に時間がかかったのです。

約1時間半もかかってやっとチケットが買えました。ところが時間を確認すると依頼したものと違うのです。明日午前中の時間になっていました。ベリーズのビザを取るためパスポートをベリーズ大使館に預けているので、明日午前中の出発は不可能なので、午後を予定していました。

勿論すぐに抗議して変えてもらおうとしたのですが、何とその時間以外だともう25日までいっぱいだと言うのです。いくらなんでもメキシコ・シティに2週間もいる訳にはいきません。ここからバスではグアテマラ・シティに行く方法がないということです。勿論チケットはキャンセルしました。

もうこの日は他の手段を考える精神的余裕も、またこんなに並ぶ気にもなれなかったので、とりあえず宿に帰りました。

どうもこの時期所謂クリスマス休暇ということで帰省者などが非常に多いようでした。日本でいうといわば正月休暇と夏季休暇が一緒になったくらいの時期のようなのです。これからもいろいろと移動については苦労しそうです。

宿に帰っていろいろ考えました。今回は私一人ではありません。家内も一緒です。あまり無理はできません。もうグアテマラとベリーズは諦めようかと思いました。もう日本を立って1年半になります。早く帰りたいという思いも募り、非常に弱気になってきました。

そのためユカタン半島へいくこともやめようかと思いました。ただそうすると逆に日本への帰国時期が年末になり、飛行機が取れないといった事態にもなりかねません。そのため非常に悩みました。

とりあえず情報収集のため宿のサロンへいきました。世界中を旅している強者たちがたちが沢山いました。彼らの話によると「グアテマラはとてもいいよ」とのこと。またニカラグアをどう通過するか、パナマに行く方法はないかなど、バックパッカーたちがいろいろと旅を乗り切るための相談をしています。力強いバックパッカー達の姿を見て、勇気が出てきました。もう一度グアテマラに行こうという気になってきたのです。

まずユカタン半島メリダへ行く方法を模索しようと考えました。当初先にグアテマラ、ベリーズと回りその後北上してユカタン半島のカンクンなどに行こうと思っていましたが、逆コースを回るのです。先にユカタン半島を回って南下してベリーズ、グアテマラと行ってメキシコ・シティに戻ってこようという考えです。

とりあえず明日メリダ行きのチケットを購入しにいくこととしてこの日は休みました。

翌12日午前中にベリーズ大使館へ行ってパスポートを受け取り、また東ターミナルへ向かいました。しかし途中家内の調子が悪くなり、休み休み行ったのですが回復しそうにないので、適当なところで休ませて私一人でチケットブースに並びました。

今日のバス会社はコンピュータが導入されているようで30分程度並んだだけでした。しかし残念ながら、やはりメリダ行きのチケットはここ数日の分は売り切れでした。しかしカンクン行きではあれば明日のチケットが買えたのです。カンクンの手前にあるチチェンイツァに行く予定もあったので、本当はその更に手前のメリダに行き、メリダから途中のチチェンイツァに寄ってカンクンに行くという順当なコースを考えていました。

しかしメリダ行きがないのであれば仕方ありません。カンクンに先に行って、チチェンイツァにはカンクンから日帰りでも行けるのでそれでいいかと思ったのです。

かくして我々は当初とはコースは逆でしたが、予定通りユカタン半島に向けて出発することになったのです。


バス・トラブルいろいろ

さて何とか翌13日カンクンに向け、メキシコ・シティを出発しました。翌14日午前中にはカンクンにつきました。何と予定より4時間も早かったのです。こんなこともあるんですね。元々の時刻表がやたら余裕をもったものなのでしょう。

カンクンには4泊して、2日間はビーチで遊び、中日の1日をチチェン・イツァ観光にあてる予定にしていました。最初のビーチ遊びの日、15日にチチェン・イツァ行きのバスチケットを購入しました。ただし往復は買えないとのこと。帰りは向こう(チチェン・イツァ)で買うのだそうです。そうすると当日かつ直前にチケットを買うことになるので、座席の確保ができるのかなあと不安になりましたが仕方ありません。

16日、朝7時半カンクン発です。予定では約4時間のなので、11時半ごろには着くはずと思っていたのため、11時頃どこかに止まったのですが、早いし何もアナウンスがないので降りませんでした。そこを出発すると、周りの様子がどうも観光地っぽい(お土産屋が沢山並んでいる)のでチチェン・イツァではなかったのかと不安になり、運転手に確認するともう過ぎたとのこと。そうです、さっき止まったところがチチェン・イツァのバス停だったのです。

なぜ何のアナウンスもないの? ひどいと抗議しても戻ってはくれず、そのまま走り続けます。それでも丁度反対方向に走るバスがあったのでそれに乗り換えさせてはくれました。そのため何とか12時にはチチェン・イツァのバス停に着くことができたのです。やれやれです。

まずは帰りのチケットの購入ですが、案の定座席予約はできません。来たバスに乗るしかないようです。座れる可能性は極めて低そうですが、最悪ヒッチハイクも辞さない覚悟でチチェン・イツァの観光に向かいました。バス停からは2kmも歩きました。

不安をかかえつつもこの旅最初のまともな観光地なので、しっかり見学しています。この当時はピラミッドも上まで登れたので登ってます。

[チチェン・イツァにて]

1時半頃見学を終え、遺跡内のセルフのレストランで昼食をとって、その後ゆっくりする精神的ゆとりは無かったので、そそくさと帰途につきました。

バス停に戻る道すがら、ヒッチハイクを何度か試みましたがだめでした。バス停について、最初に来たバスにはなぜか乗れませんでした。理由は覚えていません。結局次のバスはやはり立ち乗りの人もいるくらいの混雑でしたが、次を待っても同じことだと思ったのでこれに乗ったのです。4時間立ちっぱなしの覚悟です。

ただ通路に座り込むことはできたのでまだましでしたね。また2時間くらいして、話をしていたメキシコ人のやさしいおじさんが家内には席を譲ってくれたのです。

それから約1時間後、午後6時7分、出発から約3時間とかなり早くカンクンに着き、ほっとしました。

翌17日も1日ビーチをしっかり堪能しました。

[カンクンビーチ]

その翌日18日にいよいよこの旅の2か国目ベリーズに向けて出発です。ところがカンクンを出る時です。バスがオーバーブッキングしたのです。この時私はとにかく先に座るしかないと思い、指定の席に座って譲りませんでした。この時の私の対応に家内は後で不満をいいました

しかしこれまで言葉の通じない、文化も考え方も違う世界を沢山旅をしてきて、トラブルに遭遇した時、日本での普通の感覚でいたらだめだということを何度も経験してきました。日本であれば話をし、相談すれば解決することも、外国ではそういう訳にいかないことばかりです。日本的な対応を期待しても裏切られることばかりでした。そのため実力行使しかないと思い知ったのです。

確かに今回オーバーブッキングした相手、恐らくメキシコの現地人だと思いますが、何かとてもやさしい感じの男性で、梃でも動かないと頑張っている私に文句をいう訳でも騒ぐ訳でもなく、困ったような顔をしているだけでした。メキシコ人らしい身勝手な行動をするような人ではありませんでした。

その様子を見て、家内は現地人より、日本人の私の方が身勝手な非常識な人間に見えたのでしょう。しかしたまたまだったと思います。このような人は殆どいないと考えた方がいいのです。

結局彼がその後どうなったかは分かりません。ただ言葉が分かる彼の方が、我々よりも適切に対応できるはずです。ある程度バランスも必要ですが、基本的に身勝手でないとバックパック旅行はやっていけません。

いずれにしてもこの一連のバス関連のトラブルは、やはりクリスマス休暇によるメキシコ・中米の全般的混雑が大きな原因ともなっているので、この時期の旅行は要注意ですね。


国境越えもいろいろ。バス・トラブルもまだまだ

西ヨーロッパを旅している時は、国境を感じさせてくれることは殆どありませんでしたが、東ヨーロッパでは国境越えは一仕事でした。それは1990年、東、南ヨーロッパ旅行ハプニング集で書いてます。アメリカでも北米を旅している時はカナダ国境なども通過した感じはありませんでした。

しかし中米では国境越えは越えた感がありました。最初はメキシコからベリーズに入るときです。

12月18日6時半頃カンクンを出発して、11時半にはメキシコとベリーズの国境の町チェトゥマルに着きました。ここでメキシコ側でベリーズ・シティ行きのバスチケットを購入し乗り込みます。12時20分バスが来ました。これまで乗ってきた長距離バスとは全く違うまるで路線バスのようなバスでした。脇腹の荷物入れボックスもなければ、既に満員で席もありませんでした。何とか車掌に頼んで席を作ってもらって座席を確保した始末です。

すぐに国境ゲートに着きました。一旦バスを降りパスポート・チェック荷物検査です。パスポート・チェックはパスポートにハンコが押されたとのツーリストカードを取られただけでしたが、荷物検査では生ものは没収です。従って事前に買いこんでいたバナナが没収されてしまうので、没収されるくらいなと思いその場であわてて食べました。

バスは前述のように路線バスのようなもので、いろいろなところに停車しながらだったため時間がかかりましたが、それでも午後4時前、想定よりも早くベリーズ・シティに着きました。

[廃れたベリーズ・シティの町並み]

ベリーズ・シティは非常に廃れた感じのところで、観光など全くする予定はなかったのでほぼ通過するつもりでした。我々をチーノ、チーノとバカにしたように呼ぶなど、何だかひどい国でしたね。また多くが黒人でした。

一泊で通過する予定だったので、着いてホテルを探し、チェックインした後すぐにバスターミナルに戻って、グアテマラのティカル遺跡の観光拠点であるフローレス行きのチケットを購入しようとしたのですが、どこが窓口なのかさっぱり分かりません。その後ツーリストインフォメーションに行って聞くと、今日はもうバスチケット売り場が閉まっているとのこと。こんな時間(午後5時頃)で閉まってしまうの?と思ったのですが、明日またバスターミナルに来て買う他ないようでした。仕方なく翌日買うこととして、こんな町で2泊することを余儀なくなくされたのです。とりあえず翌日は無事バスチケットを買うことができました。

12月20日6時半、定刻通りベリーズ・シティを出発します。バスもひどいオンボロでした。

[フローレス行きのオンボロバス]

10時頃には国境に到着しました。まずベリーズの出国ですが45分ほどかかりました。そして出国完了後ゲートを出たのですが、乗ってきたバスが見当たりません。ゲートの反対方向へ進むとグアテマラ側の入国ゲートがありました。バスはもうグアテマラ側に行っているのだと思い、とりあえず入国しました。ここは入国税5ケツァルを払ってすぐ完了です。

しかし入国ゲートを過ぎてもバスが見当たりません。聞くとマーケットの方に行ってしまっているらしい。どこ?マーケットって。なぜそんなところに行ってしまっているのか分かりませんが、傍にバンが止まっていました。一緒にきたスイス人の話だとこのバンが$7でフローレスまで行くらしい。その際荷物を前のバスから取ってくるためマーケットに寄ってくれるとのこと。すでにフローレスまでのチケットを買ってあるのに理不尽だと思ったのですが、訳が分からないのでこのスイス人たちと行動することとし、このバンで行くことにしたのです。

バンでマーケットに寄って荷物をとり、11時には国境の町メンチュールを出ました。ずっとジャングルの中の未舗装のでこぼこ道を進みました。

[グアテマラのジャングルと乗ってきたバン]

それでも午後2時15分、無事フローレスにつくことができました。


珍しく平穏な日々が

フローレスでは平穏な時間を過ごすことができました。ティカル遺跡観光もこの旅で最もちゃんとした観光ができました

[ティカル遺跡]

その後フローレスからグアテマラ・シティへ向かうバスも当初は悪路を夜行バスでいく大変な旅だと地球の歩き方には書いてありましたし、バスもかなりのオンボロだったのですが、案外楽勝で思った程の悪路ではなく、どうってことありませんでした。

[ボロい割には楽勝だった夜行バス]

ただ途中何度かにバスが止められて、外国人の我々も調べられたりしました。これは後で知ったことですが、当時グアテマラは反政府ゲリラがいろいろなところにいて半内戦状態だったようです。結構危なかったのですが、何もしらないので全く気にしてませんでしたし、事実恐ろしい目にもあいませんでした

グアテマラ・シティでも後述するようにお腹はいっぱいになるし、アンティグアではゆっくり観光もでき、グアテマラではとても平穏な旅をすることができたのです。

[アンディグアにて]


下痢はつらい

中南米を旅していると、殆ど人が遭遇するのが下痢です。ある意味中南米旅行の洗礼とも言われているようです。特にこの下痢はひどい場合、日本から持って行った下痢薬が全く効きません現地の薬を買わないとだめなのです。しかし私は呼吸器は弱いのですが、消化器はめっぽう強く下痢などこれまでもなかったので、この中南米の洗礼も受けませんでした。しかし家内は洗礼を受けてしまったのです。

この下痢のことは地球の歩き方にも詳しく書いてあり、現地の薬の名前も載ってました。またこの旅の途中にあった日本人バックパッカーからも下痢で苦しんだ話は聞いていたので、予め現地の薬を買っておくべきだったのですが、不覚にもやっていませんでした。

バックパック旅行は貧乏旅行ですから、食事も必ずしも満足にとることはできません。しかしグアテマラ・シティでは例外でした。日本の中華料理店と変わらないようなメニューのある、とても安いお店がいくつもあったのです。そのためこのメキシコ・中米旅行、更には私のバックパックの旅の中で初めてというくらい毎日お腹がいたくなるほど食べることができたのです。

それがもしからしたら祟ったのかもしれません。12月27日、グアテマラ・シティを出てメキシコ・シティを目指して出発する日のことです。どうも家内は朝から今一つお腹の調子が悪いようでした。そのため家内は朝食を取れませんでした。

メキシコまで直接行くバスはないので、一旦国境の町タリスマンまで行きます。そこでメキシコ側の町タパチュラに移動してそこからメキシコ・シティを目指します。まずタリスマン行きのバスですが、とても綺麗なバスでした。これまでグアテマラで乗ったバスとは全く違います。しかしメキシコのバスのようにトイレはついていませんでした。そのため下痢の家内が大丈夫か心配でしたが、7時頃グアテマラ・シティを出発しました。

しかしこのバス、なりはとても綺麗で先進国のバスと見た目何も変わらないのですが、やることが全く後進国でした。長距離高速バスであるにも関わらず、グアテマラ・シティの街中を走っている間はまるで路線バスなのです。途中でいろいろな人を乗せては、降ろしていました。座席は満席なので、彼らは立ち乗りです。

こういうものなのかなと思ったのですが、時折「○○○○、ポルファボール」車掌が車内放送すると立っているこの客らが屈んで頭を隠すのです。どうも警察が近くを通ると隠れているようでした。「○○○○、ポルファボール」というのは恐らく「(警官が近くにいるので)屈んでください」か「頭を隠して下さい」と言っていたのだと思います。

まさかバス会社が公式に指示していることとは思えませんが、恐らく運転手と車掌が小遣い稼ぎのため違法な操業をやっているのでしょう。乗客も違法を承知で使っているのです。中南米の後進性を垣間見ました。

それはさておき、午後1時頃タリスマンに到着しました。とりあえず下痢で苦しんでいる家内はトイレへ。その後すぐにグアテマラ出国。ここでは入国時に押された判子の部分に今日の日付を書いただけです。メキシコの入国ゲートも歩いてすぐだったので、メキシコ入国も完了。

入国ゲートを過ぎても何か閑散としています。どうも国境にはバスターミナルなどはなく、離れたタパチュラの町まで行く他ないようでした。しかしタパチュラ行きのバスなども見当たりません。聞くとタパチュラまでタクシーで行けという。本当かよと思いましたが、どうもタパチュラ行きのバスもあるらしいのですがチケットがないとだめとのこと。チケットって何だよと思いましたが、タクシーは高いのでヒッチハイクをしようと考えました。しかしタパチュラのバスターミナルがどこだかも分かりません。どの方向の車をヒッチハイクすればいいのかも分からないので、仕方なくタクシーで向かいました。

午後2時20分、クリストバル・コロン社のバスターミナルに着きました。ここでもまず家内はトイレへ。その間私はメキシコ・シティ行きのバスチケットを買おうとしていたら、恐らくダフ屋でしょうか、女が声をかけてきました。午後4時半のメキシコ・シティ行きのチケットを売ろうとしてきました。もう少し早いのはないか確認したら、午後3時45分のがあるのというのでそちらを購入しました。

しかしこのバスはトイレがあったのですが、何と故障をしていて使えなかったのです。下痢がひどい家内にとっては非常に辛い移動になってしまいました。午後3時53分、少し遅れてタパチュラを出発しました。午後5時頃どこかにミールストップしましたが、家内は症状が最もひどいころで食事は勿論できず、トイレにいくのが精いっぱいでした。

因みにこのバスでは何度もパスポート・チェックがありました。翌12月28日午前10時半頃、ほぼ予定通りメキシコ・シティに着きました。すぐに行きにも泊まったアミーゴに向かいます。11時半にはアミーゴにつき、チェックイン。家内を休ませたまま、すぐ私は下痢の薬を買いに行きました。薬の名前などは前述のように地球の歩き方に書いてあったので、それほど迷わずに買えました。確かLomotilという薬だったと思います。

家内に薬を飲まして、私は銀行へ両替に。そしてすぐ次の目的地であるマサトラン行きのチケットを買いにバスターミナルへ。3社ほどあたったのですが2社は訳がわからず、もう1社もまたしてもいい日時のものはありませんでした。明日12月29日であればあるのですが、明後日のものは売り切れです。少し家内を休ませたかったので、メキシコ・シティで2泊したかったのですが、仕方なく明日のチケットを購入しました。

結局メキシコ・シティに2回来て、都合3泊したにも関わらず、近郊の世界的にも著名なテオティワカン遺跡はおろか市内観光すら家内にさせてあげることなくメキシコ・シティを去らねばならなくなりました。

[家内に見せてあげられなかったテオティワカン遺跡]

アミーゴに帰ってくると、家内はかなり回復していました。やはり現地の下痢薬はとても効くようです。この後夕食の食材を一緒に買いにいくこともできました。この日の夕食は家内にとってまるまる2日ぶりの食事となりました。


何なのメキシコって

翌29日にメキシコ・シティを立って、翌30日朝9時半頃マサトランに着きました。いつものように家内をバスターミナルに残して一人でホテル探しに。ビーチが比較的近かったので、せっかくなのでビーチ沿いのホテルを探したのですが非常に高いか満室でした。しかたなくバスターミナル近くのホテルが手ごろだったので、まだ清掃中ということですぐには入れないということでしたが、そこにしました。

バスターミナルに戻り家内を連れてそのホテルに行き、ロビーで家内を待たせたまま、私は次のラパス行きの船のチケットを購入するためへ向かいました。港についてチケット売り場に行っても閑古鳥がないています。不思議に思って聞いてみると、チケットは当日買うものだというのです。

仕方なくホテルに戻りました。11時頃には戻ったと思います。そのままロビーで清掃が終わるのをずっと待っていました。しかしなかなか声がかかりません。そのうち12時半頃、別の客がチェックインしているのを見ました。おかしいと思ってホテルの人に聞いてみると、とっくに清掃など終わっているとのこと。

まったくメキシコって何のでしょう。まあ今に始まったことではないので、逐次確認しなかった自分が悪いのだと思うことにしました。

マサトランは何もないところですが、もう忙しい旅は疲れたので、ビーチも近いのでそこでゆっくる過ごそうと2泊することにしました。

翌日12月31日朝9時頃、洗濯するためランドリーに行くと、自分でやるのではなく預けてお願いする仕組みらしい。よく分かりませんがとりあえず預けてきました。10時頃戻ってみると、まだ何もやってません。どうも全く話が伝わってなかったようです。英語が喋れる別のおばさんに通訳してもらって、やっとちゃんと預けることができました。

その後は二人でビーチに行って過ごしました。

[マサトランのビーチ]

2時頃ビーチをあがり、さっきの洗濯物を受け取り、ホテルに帰るとまだベッドメイキング中ということで少し待っていました。ところが鍵を部屋に入れたまま出てきてしまって、部屋がロックされてしまったとのこと。マスターキーを探しても見つからず、ボスが来るまで開けられない様子。何なのだ全く! しかしボスが戻ってもマスターキーが見つからない。結局窓枠を外して、そこから入る始末。本当にこの国は万事この調子なのでしょうか。

その後は気を取り直して、またビーチに行ったり、夕方夕日を見に行ったりして、ゆっくり過ごし、この日は大みそかなので夜更かしもしました。

[マサトランの夕日]

翌日元旦もマサトランに泊まって、1月2日にメキシコ最後の町ラパスに向けて船で立ちました。ラパスでは特にハプニングもなく平穏に過ごせました。しかし町では平穏だったのですが、また最後に。。。。


やってくれるぜメキシコは

1991年1月4日、メキシコ最後の町ラパスを出発する日がやってきました。

[最後の長距離バス]

ついに最後の長距離バスです。ちゃんとトイレも付いているいいバスです。午後1時に定刻どおり、バスはラパスを出発しました。このバス旅が終われば大変だった中米ともおさらばです。さよならメキシコ・中米さん

バハ・カルフォルニア半島の典型的な荒涼とした眺めが続きます。

[バハ・カルフォルニア半島のサボテン林]

このようなサボテン林が延々と続いていたのです。もう最後なので少々旅愁に浸ってました。ところが。。

午後6時半。出発して5時間半後のことです。突然、バスが止まりました。どうもどこか故障したようです。暫くリアタイヤの奥の方を点検しています。そのうちリヤタイヤを外し始めました。しかしどうもしくじってねじ頭をなめてしまい、ドライバーやレンチでは回せなくなってしまったようで、それをノミで打ち始めました。夜中中延々とノミ打ちを続けていました。

一体どこの故障なのか、何をやっているのかよく分かりませんから、この先どうなるのか非常に不安でしたが、成り行きを見守るほかありません。停止から7時間が過ぎた夜中の1時半頃には諦めてノミ打ちはやめました。そして運転手の一人がそばを通ったトラックに乗ってどこかに行ってしまいました

因みに既に次のティファナ行きのバスが通りかかったのですが満員で乗れませんでした。急ぐ人はそのバスに立ってでも乗っていきましたが、さすがに夜行バスで立つのは

バスが止まってからすでに12時間以上過ぎた翌朝になっても事態は何も進展しません。とにかく代車を手配するといったことをしないのです。一体昨晩トラックでどこかに行ったもう一人の運転手は何をしに行ったのでしょうか。残っているもう一人の運転手はもう何もせず寝ています

また不思議なことに他の乗客は多くが怒ってもいません。サボテンを燃やして焚き火をして遊んでます。

[翌朝サボテンで焚火をする乗客達]

メキシコ人は仕方ないとしても、アメリカ人なども「メキシコはいつもこんなもんさ」と慣れっ子な様子。私は頭にきて、残っている運転手に怒鳴ったりもしましたが埒が明きません。他の乗客になだめられる始末です。

[サボテンの巨木の前で]

近くを通る車のヒッチハイクも試みましたが、全然止まってくれません。やっと止まってくれてもティファナまでは行かないか、行っても数日ゆっくり旅をする車なのでだめでした。

結局停止してから22時間近く経った午後4時半。次に来たティファナ行きのバスはやはり満員だったのですが、これに乗って行くことにしました。もはやこのバス会社が代車を用意する気がないと思ったからです。

実はこの乗り換えたバスも途中で故障するなどまだ問題も起こり、結局ティファナについたのは翌日午後2時。ずっと立ってたので勿論一睡もしてません。実に予定より31時間遅れで着いた訳です。


アメリカに戻ったが

1月6日、午後2時にティファナにつき、すぐにアメリカ入国。特にトラブルもなくサンディエゴまでだどり着きました。ここでサンディエゴ近郊のデルマーというところにいる親戚のおばさん(といっても義理のおばさんのお姉さんなのでかなり遠い親戚ですが)のところにお世話になりました。

当然この旅の大変さを話したのですが、このおばさんが非常にお喋りで疲れ切っているのになかなか解放してくれず、結局この日も夜中2時頃まで話に付き合わされました。

翌日ロスに向けて出発です。最初オーシャンサンドのグレハンのバスディーポに送ってもらったのですが、時間がかなり先だったのでアムトラックに変更し、駅まで送ってもらいおばさんと別れました。北米で唯一乗った長距離鉄道です。

[アメリカで唯一乗った長距離鉄道アムトラック]

ロスアンジェルスには定刻通り、12時45分に着きました。まずは帰国の飛行機探しです。リトル東京に行けば日本人経営の旅行会社があると思ったので向かいました。2店目くらいで安くて、飛行機会社もよく(シンガポール航空)、日程もいい日が取れたので、ここに決めてしまいました。チケットは明日午前中に取りに来てくれとのこと。

またロスでは一昨年の西海岸旅行の時に世話になった友人に連絡をして迎えに来てもらいました。しかし我々が待っているところに友人が車を止めると駐停車禁止場所だったため、即座に違反キップを切られてしまいました。罰金は$53。仕方なくこれは私が払いましたが、何だか高い宿代になりました。これならリトル東京でも泊まれたはずです。

一昨年は友人はサンタモニカに住んでいましたが、今はロングビーチでした。この日はゆっくりして翌日またロスのリトル東京へ行って、飛行機のチケットを受け取り、そのままアナハイムへ向かいました。

アナハイムでは安いモーテルが取れて、ここでディズニーランドで2日、ナッツベリーファームで1日遊びました。

[ディズニーランドにて]

そして1月11日に1年半ぶりの祖国日本への帰国の途についたのです。


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