メキシコ・シティ

メキシコ・シティは都合3回訪れたのですが、最初の1回以外は結局通過だけになってしまいました。従って写真も全て最初に行った1990年3月10日から13日までのものです。

4日間の滞在ですが、メキシコ・シティからテオティワカントゥーラなど近郊の観光もかなり時間をかけたので、実際メキシコ・シティを回ったので2日程度です。

2016/4/17

ソカロ広場とメトロポリタン大聖堂

メキシコシティを代表するこの大聖堂は巨大でアメリカ大陸で最大級の教会です。

元々はアステカの戦争の神ウィツィロポチトリの神殿があった場所で、スペイン人の征服者がやってきて神殿の基礎の上に大聖堂を建設したものです。

現在は柔らかい土壌のため、1990年代に安定化工事をしたものの、建物自体は傾いています。写真でもはっきり分かりますよね。

ソカロ広場は街のへそであり、この周辺が世界文化遺産に登録されているのです。

夜景もとても綺麗です。


テンプロ・マヨール

1978年2月、メキシコシティの中心にある大聖堂の近くで工事を行っていた電力会社の作業員が、地下部分でレリーフが施された石を見つけました。これをきっかけに、地下の調査が行われ、この周辺に大規模な古代遺跡が埋まっていることが確認されたのです。

その後、古代遺跡の保全作業が進められ埋もれていたアステカ帝国の大寺院であるテンプロ・マヨールの基盤部が姿を現すととともに、後述する巨大な石版をはじめとする、様々な遺物が発見されました。

発掘物は隣接する博物館に所蔵していますが、その目玉展示物とてて、月の神コヨルシャウキを象った大きな石板です。

コヨルシャウキは、アステカ神話に登場する最高神ウィツィロポチトリのお姉さん。どこの誰の子ともわからないウィツィロポチトリを孕んだ母コアトリクエを恥じて殺そうとしたが、逆にウィツィロポチトリによって殺され四肢がバラバラになってしまった。この像はその状態を現しているそうです。


チャプルテペック城

バッタの丘という意味のチャプルテペック、そこは、アステカ王国時代には王様の保養地でした。その場所に植民地時代16世紀副王の館として建てられたお城がチャプルテペック城です。

メキシコ独立後の1847年のアメリカの侵略戦争、米墨戦争の最後の砦となり、6人の英雄少年が身を投げ国旗を守ったところでもあります。

チャプルテペック城からのメキシコ・シティの眺めです。

後のフランス侵略戦争により、1864年から3年間のフランスの統治時代マキシミリアム皇帝のお城となったり、独裁政治家ポリフィリオ・ディアス大統領の官邸となるなど、メキシコの歴史をそのまま物語っているお城だそうです。


ベジャス・アルテス宮殿

ベジャス・アルテス宮殿は1934年に建設された。宮殿は非常に大きく、メキシコシティでの存在感は絶大です。


独立記念塔

メキシコのスペインからの独立運動が始まったのが1810年、その100年後の1910年に、独立100周年を記念して当時の大統領Porfirio Diazによって建てられました。ちなみに1910年はメキシコ革命が始まった年でもあります。


革命記念塔

革命記念塔は、その名の通りメキシコ革命を記念した作られた街のランドマークです。

このアール・デコ調の建物には、メキシコ革命に寄与したフランシスコ・マデロベヌスティアーノ・カランサの2人の大統領の霊廟ともなっています。その後、エリアス・カジェスとラサロ・カルデナスの2大統領もこちらに埋葬されました。


ラテン・アメリカン・タワー

メキシコシティ旧市街に空高くそびえ立つラテン・アメリカン・タワー。地上44階建てのビルで、建設された1956年当時ではラテンアメリカで最も高いビルでした。高層ビルが増えてきた現在は、街で5番目に高い建物です。


マリアッチ

メキシコを代表する楽団の様式です。メキシコ・シティのそこかしこで見かけました。


メキシコと中米の目次へ

ホームページへ

inserted by FC2 system