デリー

2018/03/31

2018年3月17日(土)午前に成田をたって、その日の夜にデリーに着きました。この日は空港から即ホテルへ直行です。夕食も飛行機で出ているのでホテルではもう寝るだけですね。特に皆さん集まって自己紹介のようなものってやらないんですね。ツアーによるのかもしれませんが。

そして翌朝ホテルを立って、ラール・キラーフマユーン廟を観光したら、10時前にはもう空港です。エアー・インディアの国内線でヴァラナシへ向かいました。

そしてその3日後にアウランガーバードへ行くためにもう一度デリーを訪れて、クトゥブ・ミナールの観光をしています。


ラール・キラー(レッド・フォート)

ここは下車観光ですが、入場はしませんでした。つまり外から見ただけです。まあ時間も早くてまだ入れないというものあります。2007年に、隣接するサリームガル城 (Salimgarh Fort) と併せて「赤い城の建造物群」としてユネスコの世界遺産に登録されているのにちょっと残念です。タイトなスケジュールなので仕方ありません。因みにラール・キラーはヒンディー語、レッドフォートは英語でいずれも「赤い城」です。

奥の高いところがラホール門です。

ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、アグラから遷都し、自らの名を冠した新都シャージャハーナーバード (Shahjahanabad) における居城として築いたとのこと。1639年から9年をかけて1648年に完成。名称の由来ともなった城壁の赤い色は、建材として用いられた赤砂岩のものです。

一応城塞だったので水ははってなかったですが、濠のようなものもありました。


フマユーン廟

次に向かったのはムガル帝国第2代皇帝フマユーンの霊廟である、その名もフマユーン廟

フマユーンは、1540年、ビハールの地をしたがえたパシュトゥーン人(アフガン人)の将軍でのちにシェール・シャーと名乗るスール族のシェール・ハンに大敗し、これ以降インド北部の君主の座を奪われてペルシアに亡命し、流浪の生活をおくりました。やがてイラン(ペルシア)のサファヴィー朝の支援を受け、シェール・シャー死後の1555年にはアグラとデリーを奪回して北インドの再征服に成功しましたが、翌1556年に事故死してしまいます。

フマユーン死後の1565年、ペルシア出身の王妃で信仰厚いムスリムであったハミーダ・バーヌー・ベーグム(ハージー・ベーグム)は、亡き夫のためにデリーのヤムナー川のほとりに壮麗な墓廟を建設することを命令します。時代は、アクバル大帝治世の前半にあたっていました。

ここが正門です。

 
もう向こうに霊廟が見えてきました。

 
霊廟正面です。朝だと逆光なのですが、それが返って神秘的だったりします。

シャルマンのガイドは10分程度で後は自由時間。といっても10分だけです。早速霊廟に向かいます。

霊廟を真ん前にしてみると結構でかいです。

 
振り返って正門の方も。

 
玄室となる建物の中央にはフユマーンの墓として白大理石の石棺が置かれてますが、これはいわば仮の墓、すなわち模棺(セノターフ)であり、実際のフマユーンの遺体を納めた棺はこの直下に安置されているそうです。このような形式は、中央アジアの葬送に由来しているとか。そのためか写真もビデオも撮影自由でした。

 
霊廟の中はいくつかの部屋に分かれていて、それぞれに石棺が置かれています。これは王妃たちの石棺でしょうか。

 
こちらは王子たちかな。

 
ちょっと逆光にならない南側に回って霊廟を。やはり綺麗ですね。青空にとても映えます。

 
そのためやはりいくら逆光が神秘的とは言え、全体の正光写真も撮りたくて、もうあまり時間が無かったのですが、正面とは反対方向から撮ってみました。

 
もっとアップも。後のタージ・マハルに影響を与えたというだけあって、形はよく似てますね。

 
霊廟の外にも石棺があります。後でWikiで調べたら、何と150人もの棺があるそうです。

 
結局集合時間に2分遅れです。遅れたのは私だけ。いけまんね、初日からこれでは。時間厳守でいかないと。でもデリーを代表する世界遺産なのに正味20分で観光って。スケジュールタイトだから仕方ないですが。この後はもうデリーの空港へ向かいます。

■3月18日(日)午前デリーでの日程実績
06:00 朝食(バイキング)
07:15 ホテル発
08:05 ラール・キラー
08:40 フマユーン廟着
09:11 発
09:47 インディラ・カンジー国際空港着
10:08 チェックイン
10:13 荷物チェック
10:30 空港内で早昼食
11:30 ボーディング AI433
12:04 離陸


クトゥブ・ミナールとその建造物群

こちらは前述までのものから3日後の21日(水祝)で、ジャイプルからアウランガーバードに行くために一旦デリーに戻ってきた時に観光したものです。バスの故障で2時間半のロスがあったため、実にわずか10分の観光でしたが、それでも来ると来ないでは大きな違いなので、頑張ってくれたシャルマン達に感謝です。

もうここは見に来れないと諦めていたので、この姿を見た時はとても嬉しかったです。

1200年ごろに奴隷王朝の建国者であるクトゥブッディーン・アイバクによって、クワットゥル・イスラーム・モスクに付属して建てられました。高さが72.5mあり、世界で最も高いミナレットです。これでも地震や落雷などで先端が崩れた後に修復してあり、当初は100mほどの高さがあったといいます。直径は、基底部14.3mに対して先端部2.75mであり、文字どおりの尖塔です。

内部には378段の階段があり、以前は先端部まで上ることができましたが、1982年に照明が消えてパニックになった修学旅行中の少女たちが階段で折り重なって倒れ、十数名が死傷する惨事となったため、この事故以来、内部への立入りは禁止されたとのこと。

 
こちらがクワットゥル・イスラーム・モスク。とにかく10分なので大急ぎで写真撮ったりビデオ撮ったりしました。インドで最初のモスクということで、これも世界遺産に登録された理由の一つです。

 
この建物のが当時の状況を最もよく表していて、急いで作ったので破壊したヒンドゥー教寺院の石材をほぼそのまま使ったことが分かります。明らかにイスラムが作るはずのない模様が描かれています。

もっとも当初はそれを隠すために漆喰が塗ってあったらしいのですが、それが剥がれてしまったんですね。

 
そしてこれが有名なデリーの鉄塔99.72%という高純度な鉄で作られており、 それが1500年錆びなかった理由だとされていますが、Wikiによるとそれは間違いで錆びなかった理由はむしろ少々含まれた不純物、リンのためだと書いてあります。

直径は約44cm、高さは約7m、地下に埋もれている部分は約2m、重さは約10トン。

この鉄塔にはサンスクリット語で碑文が刻まれています。

 
モスクの門です。

 
ミナールももう少し細部を撮ってみました。かなり精巧に作られているのが分かります。

 
中段にもバルコニーがあり、ここで皇帝が演説をしたという話もあります。

 
基底部は14.3mということでかなり太いです。入り口が見えますが、昔はあそこからは入れたんですね。

 
モスクの外にも何か建造物が。何でしょうか。

 
この南側にあるのは、アラーイー・ダルワザという門で、かつてはこちらが正門だったとか。

 
そしてこちらはアラーイーの塔。財政難で工事が中断し、直径25mの巨大な基底部だけが残ったのです。完成していればクトゥブ・ミナールを超え、100mを大きく超える塔になっていたとされます。


デリーの観光は全部合わせても正味1時間も観光時間が無かった訳ですが、またいつかゆっくり観光できるといいかなと思います。

■2018年3月21日(水祝) 晴れ(クトゥブ・ミナール観光)

06:30 朝食
07:30 ホテル発
07:42 風の宮殿
 一路デリーへ
10時前頃からバスの様子がおかしい
10:15頃ついにバスが故障で止まる
11:30頃部品は届いた
12:15 バス直った
12:30出発(2時間半ロス)
14時過ぎにはデリー近郊に
15:00 クトゥブ・ミナール着(ジャイプルから7時間15分)
15:10 観光開始
15:22 発
 バスの中でお弁当食べる
16:05 デリー空港着
17:25 ボーディング AI441 17A(左窓側)
18:15 離陸
19:51 アウランガーバード着陸(1時間36分)
20:20 空港出る
20:38 アジャンタ・アンバサダー着
 着後すぐ夕食(バイキング)


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