アジャンター石窟群

2018/04/30

3月22日(木)、昨晩のうちに観光拠点であるアウランガーバードに来ていたので、この日は朝一でアジャンター石窟群へ向かいました。拠点都市とは言えアウランガーバードからは100km以上離れているので結構時間はかかります。

アジャンター石窟群はタージ・マハル、アグラ城、エローラ石窟群などと共に1983年にインドで一番最初に世界遺産に登録されているので、インドの遺跡、史跡の中でも価値、知名度が高いところです。

特に壁画が高く評価されています。インドの絵画は古代から発展していたことはよく知られていますが、高温多湿な風土のため、残っているのは皆無に等しいのです。しかし唯一の例外がアジャンターです。しかも完成度の高いものばかりが豊富に残っています。これらの壁画は、中央アジア、中国、日本の古代仏教絵画の源流ともいえるものです。

1819年、虎狩りをしていたイギリス人に偶然発見された時は既に放棄されてから1000年も経っており、コウモリのすみかになっていました。エローラと違い全て仏教窟で石窟の種類は2種類あって、平地に木造か煉瓦造で建てられていた僧院(ヴィハーラ)を石窟におきかえたヴィハーラ窟とブッダを象徴する「聖なるもの」(チャイティヤ)として仏塔などが据えられたチャイティヤ窟があります。

ちょっと誤解されがちですが、仏塔仏像は違います。ヴィハーラ窟にも仏像はあり、特に後述する後期窟ではご本尊として中心に位置し、礼拝対象になった仏像はあります。仏塔とはその名の通り「塔(ストゥーパ)」になっていて、単なる仏像とは位置づけが違うのです。また僧侶たちが寝泊まりする場所があるかないかもヴィハーラ窟とチャイティア窟の違いになるでしょう。

また彫られた(開窟された)時期が概ね2期に分かれます。

  1. 紀元前2世紀頃からの上座部仏教期の前期
  2. 紀元5世紀頃からの大乗仏教期の後期

前期窟は、仏像概念が無かった時代で簡素なストゥーパを礼拝対象としていました。8,9,10,12,13窟の5窟のみです。後期窟は、インド文明の黄金期で、王侯貴族や商人の寄進が寄与しました。ストゥーパにも仏像が彫られるなど複雑になってきています。7世紀頃に放棄されるまで続きました。因みに壁画は全て後期のものです。

だた当初はエローラ石窟は非常に楽しみにしていたのですが、実はアジャンター石窟はあまり期待していませんでした。しかし実際見てみて全くその認識が変わりました。結局写真も200枚以上撮りました。


アジャンターへ

前述のようにアウランガーバードからでもかなり距離があるので、途中で休憩しました。ところが場所はご覧のようなところ。仮設トイレのようなトイレは女性に譲り、男たちは立ち小便

 
アジャンターに着くと、やはりここもシャトルバスで石窟近くまで行きます。遺跡保護のためのエコバスだということですが、本当にこれでエコなんでしょうか。

 
満員だったのでちょっと立って。まあ短い時間なのでいいでしょう。

 
石窟へはかなり階段を上ることになります。ちょっとお年寄りには厳しいです。

 
そこでお年寄りや足の悪い方用にはこのようなサービスもあります。勿論若い健常者でもお金を出せば利用できます。


おお!映像や写真でよく見た光景が見えてきました。馬蹄形であることが何となく分かりますね。


第1窟

石窟の番号は開窟時期や種類に関係なく東側から順番に振られています。東側に入り口があるので、観光客は大抵第1窟から見ることになりますが、この第1窟がいきなりアジャンターのハイライトです。後期のヴィハーラ窟で著名な壁画が集中しているのです。

特に有名な金剛手菩薩蓮華手菩薩はしっかり見ないとと意気込んでいたのですが、入り口から入るといきなりご本尊の両脇にあるのです。もっとも最初は暗くて分からないので必死に探していました。

そして蓮華手菩薩がすぐ見つかったので、シャルマンの解説も聞かないで写真を撮りまくってしまいました。

因みに私のカメラはコンパクトデジカメの安物ですが、最近のデジカメは安物でも高感度撮影の能力が高いので、壁画保護のための弱い照明しかあてられていない暗い窟内でもオートで大体見られる写真は撮れました。一眼レフカメラでかつしっかりISO感度を調整しながら撮ればもっといい写真が撮れるでしょう。

とりあえずしっかり壁画から見ていきましょう。

ところで、これから出てくる「マハージャナカ王本生図」とか「カリヤーナカーリン王子本生図」であるという説明は諸説あります。各壁画が一体何を書いているのか、実際に書いた人々が解説した書物などない訳で、しかも1000年以上密林に埋もれていたのですから、伝えられている物語の内容と壁画の図柄から研究者が推測しているに過ぎません。

推測なので研究者によって意見が分かれます。殆どの研究者で一致するものもあれば、意見も分かれるものも出てきます。今回私は基本的に高田修氏の「アジャンタ壁画」(日本放送出版協会発行)という3巻ものの写真解説書を参考にしました。3巻買うと7万円もする重さ6.5kgの重厚な書籍です。

理由はこの書籍の内容の濃さもありますが、解説は分からないことは分からんとか諸説あるということはきちんと書いてあり、選んだ説の理由なども個人的に納得のいくことが多かったからです。ただしできるだけ一般説や反対説も説明ができるものは合わせて書きたいと思います。

この書籍は非常に詳しく、壁画写真も素晴らしいので、もし最寄りの図書館に所蔵されていたら是非借りて読んでみて下さい。ただ前述のように非常に重いので、リックサックを持っていった方がいいですよ。

尚、マハージャナカ王本生物語とカリヤーナカーリン王子本生物語は壁画の理解に欠かせないので、当該書籍の解説をもとに仏教説話に簡単にまとめたので読んで下さい。

 
下の壁画は入って左方にあるマハージャナカ王本生図だと一般的に言われている壁画の全体です。 マハージャナカ王(仏陀の前世の姿)が簒奪された国を奪回する話と、その後王宮の生活を捨て、苦行の道に入る物語です。

ただ高橋氏によると物語と合わない部分が散見され、再考の余地があると言っています。

 
この写真は上記全体図の中央あたりを拡大して撮影したものです。恐らくマハージャナカ王の王宮での生活を表してると思われます。

 
こちらは、マハージャナカ王が象に乗って城門を出て出家する場面だと言われています。

 
こちらは下に鹿がいるので山の中と思われるため、出家後の山中のように思えるのですが、数珠を持ったマハージャナカ王と思われる人の周りに王冠や装飾品から明らかに王妃もと思われる人物を含めた数名の人々がその説法を聞いているらしい情景は、ちょっと物語に合いません。

 
下の二つの写真はカリヤーナカーリン王子本生図であろうと考えられています。マハージャナカ王本生同様、生まれはいいのに不遇になったカリヤーナカーリン王子(やはり釈迦の前世)がやがて復権しますが、結局出家し、王宮を去る物語です。

この壁画に対する高橋氏の解説は彼の独自のものではなく、シュリングロフという人の説を支持したものです。

従来この壁画も位置的にも前述のマハージャナカ王本生図の続きと言われていたのですが、シュリングロフがカリヤーナカーリン王子本生物語だと異説を唱えたのです。そのため現在はカリヤーナカーリン王子本生図であることは、ほぼ異論がないようなのですが、この物語の中での場面が大きく違う説があります。

 
下の写真の場面はシュリングロフ説によると「父王に対して、王女が「真実語」の誓いによって王子の盲目を治したことを話し、結婚の許可を得るため熱心に懇願しているところ」だというのです。

一方他説によると「カリヤーナカーリン王子が出家の決心を王妃に打ち明ける場面」だと言います。

この違いは大き過ぎます。他説と言っているのは「アジャンタとエローラ ―インドデカン高原の岩窟寺院と壁画―」(集英社発行)という書物に書かれている著者立川武蔵氏の説です。

丁度スポットが当たっている左側の人物がシュリングロフ説では父王で、立川説ではカリヤーナカーリン王ということになります。いずれの説でもスポット右側は同じ人物(王女、つまり後のカリヤーナカーリン王の妃)を指す訳ですが、場面が全然違うので情景の解釈が全く違います。

シュリングロフ説では、一所懸命に父に懇願している比較的ポジティブな表情ということですが、立川説では王(夫)の出家の打ち明けに困惑して、翻意するよう説得している極めてネガティブな表情ということです。

 
この差はつぎ(下写真)の場面の解釈で、更にその違いを際立たせます。

シュリングロフ説では、「盲目が治ったカリヤーナカーリン王子が自国の王位を奪回すべく自国へ向かう場面」ですが、立川説では「王となったにも関わらず、カリヤーナカーリンが出家してそして城門から出てゆく場面」です。場面が違うと情景としては真逆の解釈になります。

例えば、立川説では、王妃はショックのあまり今にも失神しそうで白い目を剝き出しているとか、城門の左側の図で身重の王妃が、やはりショックで手にもった蓮華の花を落としかけているなどと解釈しています。カリヤーナカーリンについても「思いつめて固く口を結んでいる」との解釈しています。

シュリングロフ、高橋説では、意気揚々と自国奪回に向かう場面ですから、王自身は勿論、周囲の人々の表情についても上記のような解釈をする訳がないことは言うまでもありません。

私は圧倒的にシュリングロフ説を支持します。この点について高橋氏と立川氏で話し合ったりしたのでしょうか。しかし立川氏の書籍の方が安価でより売れているためでしょうか、Webの素人の旅行記はこちらの説で書いてあるものが殆どです。

因みにシャルマンの解説はどちらの説で説明していたかは、全く覚えていないので分かりません。

 

ところでここまでの壁画写真をいくつか見比べてもらうと分かるかもしれませんが、壁画を見るために懐中電灯で照らしますが、写真を撮るときはむしろ邪魔ですね。懐中電灯に照らされた部分だけやけに明るくて、返って周りが暗くなり、見えにくい写真になってしまいます。従って壁画の写真を撮るときは懐中電灯で照らさないか、どなたかが言ってましたが、広い範囲をぼやっと照らすタイプの懐中電灯の方がアジャンター壁画の撮影には向いていると思います。

私の場合、通常の懐中電灯しか持ってなかったので、できるだけ照らさないで撮影するように心がけました。前述のように壁画にあてられた弱い照明だけでも、最近のデジカメなら結構いい写真が撮れます。

 
これは一般的に「王宮で灌頂するマハージャナカ王」と言われていますが、高橋説では未詳図として人物を特定していません。ただし王宮であることは間違いなく、中央の人物も高貴な人物が灌頂している場面であることは確かなようです。

 
そしてこの壁画のすぐ右隣りにお目当ての蓮華手菩薩の絵があるのです。

 
蓮華手菩薩の更にアップにしてみます。「麗しの菩薩」の異名を持つ、第1窟中、いやアジャンター石窟中の最高傑作です。右手に優美さを象徴する蓮華を持っているのでこの名がついています。体を大きくS字にくねらせるインド固有の「三屈法」で表現されていて、白い肌が特徴。

半眼で静かにうつむくその顔立ちから、法隆寺金堂に描かれた菩薩像の遠いルーツと言われています。

尚、この壁画は特にどの物語のどこの場面という訳ではないでようです。すべての仏像(菩薩像)が特定の場面を表現している訳ではないのと同じですね。

 
蓮華手菩薩の右側奥の方にご本尊が鎮座しています。あぐらをかいて、腕前で轉法輪印を結ぶ。頭は螺髪、円形の頭光、台座正面の側面向き輪宝、うずくまって向き合う鹿など、釈迦の鹿野園での最初の説法を表す常套の構図ということです。

 
そして更に右方に目を向けるともう一つのお目当て金剛手菩薩があります。つまり有名な壁画2つがご本尊の両脇を固めているという訳ですね。

まさに双璧ですが、白い肌の蓮華手菩薩と比較して褐色の膚が対照的です。力を象徴する金剛を手にもつのでこの名がついています。

 
天井も素晴らしい壁画があります。方形の区画がいくつもあり、種々の文様や図様で填め、あるいは彩色帯としています。

最も多いモチーフは蓮花、果物、鳥、象、牛、矮人などをそれぞれ単独、または組わせたものです。

下の絵は尖り帽をかぶった異邦人(実際にはヤクシャと言われる)の飲酒する図として有名です。

 
壁画だけなく彫刻もしっかり見ましょう。柱頭部には4つの胴体をもつ鹿が座り、その両側には男女の飛天が舞う姿が浮き彫りされています。頭が複数ある想像上の動物ってたまに聞きますが、これは4つの胴に頭が一つです。


第2窟

第2窟も第1窟より小規模ですが、同様の後期ヴィハーラ窟で保存状態のいい壁画が沢山あり、みどころの一つです。

 
入口小壁の浮彫にも注目。中央には龍王とその配下、左右には太鼓腹のヤクシャ像を1体ずつ配置しています。

 
これは入口手前の天井画ですが、青い靴下が珍しく、異邦人であろうと言われてます。そしてこの色は私の好きなラピスラズリを使って描かれています。また周囲には豊穣を表す蓮華蔓草や果実が描かれています。

 
中は第1窟より若干狭いです。

 
これは「兜率天上の菩薩」です。前世のシャカ菩薩は機塾して今生に再生するにあたり、兜率天上において待機していたと伝えられ、これがその待機中の菩薩です。中央の豪華な玉座に座し、宝冠を頂き、まさに帝王のようで、堂々たる偉容です。両側に天女たちが控え、左背後の一人は払子を持ちます。いずれも敬虔な態度で菩薩を再生を見つめています。

 

 
「兜率天上の菩薩」 のすぐ右方にあるこちらは「夢占い」。場面は地上に変わり、父王シュッドーダナの居城カピラヴァスツの王宮内です。宝冠を頂く国王とその手前に王妃マハーマーヤーとが幾人もの廷臣や宮女たちに囲まれて座っています。右方に腰をかがめている髭の人物は占師アシタで、国王夫妻に熱心に告げています。その内容はこのバラモンがマーヤー夫人から聞いた夢のことに相違なく、その右方に描かれている情景通り、婦人から柱の陰で打ち明けられたもののようで、すなわち「白象入胎」の夢とその占いについてであると解釈されています。

 
「夢占い」のすぐ下方のこちらが第2窟の壁画で一番有名な釈迦誕生図です。スポットを当てた写真しかなくて恐縮ですが、そのスポットがあたってる部分が生まれたばかりの釈迦で、それを抱きかかえるブラフマー神インドラ神(王冠がある方)です。右の方に我が子を見つめるマーヤー王妃がいます。

 
こちらは千体仏。数段にわたって、全て坐勢の千仏が並んでいます。

 
舎衛城の大神変。中央の仏座像は大半が剥げ落ちていますが、周辺にも小型の仏座像、さらには脇侍を伴うもののあり、舎衛城における千仏示現の奇跡の部分図と言われています。

 
天井画の曼陀羅も素晴らしい。

 
こちらシャルマンから先生が棍棒をもって厳しく指導をしている様子だという説明がありました。スパルタ教育ですね。今時保護者に怒られてこんなことはできないとシャルマンが言ってました。インドも日本と事情は同じですね。

 
柱にも細やかな浮彫があります。

 
壁画写真などに気を取られて、なかなか人々の写真が撮れません。


第9窟

第9窟は前期のチャイティア窟です。ここはそのファサード。

 
前期なので仏像はなく簡素なストゥーパしかありません。ストゥーパは仏像表現のない時代に信仰の核となったものです。

 
柱や壁などに壁画が描かれていますが、前述したように後期に描かれたものです。


第10窟

第9窟よりも更に簡素な前期チャイティア窟なのが第10窟です。ただし天井は高く広いです。

 
ぱっと見、第9窟との違いがあまり分かりません。

 
やはり柱や壁に描かれている壁画は後期に描かれたものです。柱に描かれた仏陀の立像画の保存状態がいいですね。ここは発見者の落書きが有名ですが、どれだか分からず写真が撮れませんでした。


第12窟

ここは前期のヴィハーラ窟で極めて簡素です。

 
こんなところで寝泊まりしていた訳ですね。まさに修行です。



エレファント・ゲート

このあたりが丁度アジャンター石窟群の中央。2頭の象が前足を折って、いわばひざまづいて来訪者を迎えています。ここを上がると第16窟です。

 
ワーグラー川の向こう岸に見晴らし台があります。あそこまで行くとアジャンター石窟群の全体が見渡せるのですが、体力と時間がなく諦めました。


第17窟

後期ヴィハーラ窟で第1窟に次ぐ規模のものですが、少々壁画にあきてきてしまって著名な壁画を撮り損ねています。いけませんね。

これは入り口の壁画で上の方に描かれた「過去七仏と弥勒菩薩」。坐像の如来形7体菩薩形1体を横に並べて描いています。如来形は釈迦仏までに出た過去七仏で、みな背もたれのある円形の座に座り、将来仏である弥勒菩薩(一番右)だけが髪を三つ編みにしてます。

またその下段には八つに区画して、それぞれ男女が飲み食い戯れるなど、世俗的なミトゥナ図があり、みな穏やかな表現です。

 
「過去七仏と弥勒菩薩」の右方には「飛天の供養」が描かれてます。下の写真はその一部ですが、中央のインドラと思われる男性天の周りに天女が数人いる中、インドラと向きかっている天女に注目。これはアジャンタで最も優雅で美しい女性と言われています。

顔立ちのとても整った切れ長の目の美女で、しゃれた作りの帽子をかぶり、首には真珠の飾りの他、細かい飾り紐のなびくもう一つの首飾りを二重につけるなど、その優雅さと美しさが一際目立っています。

 
天井画は絨毯のように見せるため、あえて波打って描いているとのこと。

 
ご本尊。穏やかな顔容、細かく並べた螺髪、整った体躯など典型的なグプタ様式で、方形の台座正面に側面向きの輪宝、その両側に対向した座る2頭の鹿など、当時代の常套的な形式です。。

 
こちらは有名な釈迦と供養する母子。黄褐色の長い衣を着た釈迦の足下に、子連れの敬虔な母親が多分食べ物を布施している図です。あるいは、帰郷した仏陀が出家する前にもうけた一子ラーフラとその母に出会ったという仏伝中の一場面だとする説もありようですが、高橋氏は疑わしいと言ってます。

 
こちらは柱の壁画なのですが、鏡を見ながら化粧をする女性です。インドでは古くから描かれる題材で、中世の細密画にもしばしば見られます。ここでは化粧をする女性が左足を軸にして、右足を遊ばせていますが、このポーズは浮彫にも見られます。


第19窟

第19窟は後期のチャイティア窟で、ファサードも第9窟や第10窟など前期のチャイティア窟と違って沢山の彫刻があります。上部の船底型の窓をチャイティア窓と呼びます。ここから採光して仏塔を照らす訳です。

 
中に入ると前期のチャイティア窟との違いを更に強く感じます。ストゥーパには仏像が彫られており、圧巻なのは本来木造の僧院を石窟で表現するため天井の梁などまでしっかり再現されていることです。

 
柱や柱頭、さらにその上の彫刻なども精巧なものが施されています。

 
ここらあたりで入り口方面を眺めてみました。


第26窟

アジャンターで最後まで開窟作業が続けられた、華麗にして豪華なチャイティア窟。ファサードの装飾、浮彫も第19窟と同様に豪華です。

 
第19窟と比べても更に美しいストゥーパを中心に繊細な彫刻が刻まれた柱が並んでいます。天井の梁もより大きく作られています。

 
より精巧なストゥーパの彫刻がわかるでしょうか。

 
そしてこの窟の特徴はストゥーパをかこむ柱の奥の回廊(側廊)沢山の浮彫が並んでいることです。その中でもこの涅槃像インド最大のもの。下には釈迦の死を嘆く弟子たちがいます。

ただこの涅槃像はそれほど大きい訳ではないので、インドでこれが最大と聞いてちょっと驚きました。タイにはこれよろ遥かに大きい涅槃仏が沢山あります。インドにはそもそも仏教遺跡自体が少ないからでしょうか。

 
側廊の浮彫。これは有名な降魔成道。菩提樹の下に座る釈迦、釈迦の左右には押し寄せる魔軍の群れ、座下には釈迦を誘惑する魔女たちが描かれています。

 
ストゥーパの周りをぐるりと囲んだ側廊の様子です。ずらりと浮彫たちが並びます。

 
ストゥーパにもこのように裏側までびっしり浮彫が施されています。

完成度が高い第26窟ですが、実はこれでも未完だということです。

 
26窟より向こうは立ち入り禁止になってます。


未完窟

第26窟でも未完ということなのでアジャンターでは未完窟は多いのですが、明らかに途中で放棄したという典型的な未完窟がいくつかあります。ここは何窟か忘れましたが、ご覧のように如何にも堀りかけです。

 
あーあ見学お疲れ様。

 
ここでもお猿さんが見物でしょうか。アグラでよく見た猿とは違い、この白毛で皮膚が黒い猿はハヌマーンラングールという種で、インド亜大陸周辺一帯(南はスリランカから北は中国まで)に生息しているようです。

 

見学後は遺跡内のレストランで昼食をとって、アウランガーバードへ帰りました。

アジャンター石窟は非常に満足度が高かったのですが、こうしてホームページに挙げてみると改めて感じることがあります。別のサイトでも言われていたことですが、事前に全ての絵と物語を熟知してからそれらを現場で確認しながら読み取る、という手順でなければだめですね。旅行ガイドブック程度の予備知識だけでは、ガイドの説明も耳を通過することが多く、一部しか記憶に残りません。写真もどうしても肝心なところを撮り逃します。ガイドの説明も全部網羅する訳ではないので、必ずしもポイントを全て押さえているとは限りません。

またこうしてホームページを書いていても、撮った写真が何なのか分からない。ネットでぐぐっても正確かことが分からない。それなりに準備したつもりでしたが、帰国後の整理で不満が出るという状況はなかなか打破できません。

■2018年3月22日(木) 晴れ

07:00 朝食(バイキング)
08:30 ホテル出る
10:30 トイレ休憩(立ち小便)
11:00 アジャンタ着
11:05 シャトルバスに乗る
11:15 アジャンタ入場
11:35 見学開始
12:30頃 自由行動
13:25 見学終了 昼食
14:01 シャトルバス
14:16 アジャンタ発
16:45頃 ホテル着
17:09 ホテルをオートリクシャで出る(往復500ルピー)
17:30 ジュナ・バザール着
18:30 発
18:48 ホテル着
19:30 夕食(バイキング)


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