1989年ヨーロッパ旅行出発

2017/12/9

アメリカ留学往路旅行は、1989年8月11日に成田を出てフランクフルトからヨーロッパに入り、その後は基本的に鉄道でヨーロッパを移動して、最後に9月6日にパリからアメリカ、ニューヨークに飛んで、東海岸を旅行しながら、9月12日には留学先のガスデンにつくという予定でいました。

最初のフランクフルトまでの飛行機は親戚の人(従姉の旦那)も同行していました。正確にいうとその従姉の旦那は小さな旅行会社を経営していて、彼の弟が運営している少年サッカーチームドイツに親善試合旅行に行くので、そのツアーをコーディネートするとともに添乗員として来ていました。私はそのツアーのフランクフルトまでの行きの飛行機だけ一緒に手配してもらっていて、フランクフルトまでは同行する予定になっていたということです。

旅慣れた従姉の旦那と、さらにはこのサッカーチームのコーチには昔からの友人もいました。また後述するようにそのサッカーチームの少年達とも仲良くなりました。そのため初の海外旅行、初の飛行機というとても不安な旅行ですが、彼らとの同行は、やはり後述するように非常にトラブルも多かったので、とても実務面、精神面で助かりました。

因みに当初予定は、11日午前に成田を立つと、パキスタン航空なのでカラチで数時間のトランジットを経て、現地時間翌日12日の早朝にはフランクフルトに着く予定でした。フランクフルトの空港で皆さんとは別れて、すぐにフランクフルトの街中にいって午前中さっと観光して、午後にはロマンチック街道の起点であるヴュルツブルグに行ってしまおうと思っていました。ところが。。。。


いきなりハプニング

8月11日出発の日、飛行機の出発は朝11時予定だったのですが、初めての飛行機、海外ということで、4時頃起きで5時40分には自宅を出て、6時40分には成田に来てしまいました。我々家族にとっては私のアメリカ留学は当時としては一大イベントだったので、殆どの家族や何人かの友人が見送りに来てくれていました。

9時頃には前述の少年サッカーチームのツアーも到着。その親御さんも沢山見送りにきていました。

ここで合流した義従兄曰く、飛行機は5時間ほど遅れているとのこと。まじっ!! それでも午後1時半にはチェックイン手続きをしました。

しかし、いつまでたっても搭乗案内がありません。この少年サッカーチームツアーの他にも、いくつかツアーもいたので、それらの添乗員さん達や義従兄がパキスタン航空の窓口に問い合わせますが詳しい情報がさっぱり入らないのです。

さすがに大勢の見送り者がいるので、義従兄がご家族と相談して、よくわからないですが、とにかく出国手続きをして、見送りの皆さんには帰って頂くことなりました。午後3時頃のことです。

ここで私も家族、友人たちと別れて、サテライトに向かったのです。何かとても寂しい思いがしました。

[サテライトに向かう私]

この写真は見送りにきていた義兄が撮ってくれたものです。

さてサテライトで待つこと更に数時間。午後5時半くらいになって、やっと情報が入ってきました。どうも我々が搭乗するはずの飛行機がそもそもまだこの成田空港にいないらしいのです。その飛行機はまだ北京空港にいるとのこと。で、その飛行機はいつ来るのか。何と北京の悪天候(嵐?)で出発できず、今日は来ないとのこと。

何?明日には来るらしいが、では今日はどうする。通常こういう時は一旦帰宅するのかもしれませんが、明日は朝一で出発できそうなので、空港近くのホテルの泊まるのが一般的でしょう。ところがもう午後6時過ぎなので、成田空港近くのホテルはとてもこの人数を収容できるほど空きがありませんでした。義従兄や添乗員さん達がひらすらパキスタン航空と交渉してました。結局手配できたのは新宿の京王プラザホテルだったのです。

午後7時、リムジンバスで新宿まで引き返したのです。当時私の自宅は世田谷です。新宿であればもう目と鼻の先。京王プラザホテルに着いて母に電話しました。母はヨーロッパからの電話にしては早いと思ったかもしれません。私は電話口で「今、どこにいると思う?」「新宿だよ、新宿」と事の顛末を話しました。正直もう帰りたくなりましたね。

ただこの頃には長く空港に一緒にいたため、すっかり少年サッカーチームのメンバーと仲良くなりました。特に一人やたら僕に懐いてくれた子(ともか○君)がいて、京王プラザホテルでは一緒に寝たいとせがんだくらいです。これがとても慰めになりましたね。完全に一人だったら帰っていたでしょう。ただこの日は結局一人で寝ました。

[京王プラザホテルの部屋]


何とか日本出発

さて翌日12日早朝、6時半には京王プラザホテルをでて成田に向かいました。8時40分には成田空港につき、無事飛行機は北京から到着していました。すぐに手続きをして搭乗です。

[いよいよ人生初の飛行機に]

10時16分離陸しました。感動の離陸です。まあ大体1日遅れですが、私の場合、自由旅行ですから、そんなに立て込んだ旅程ではないので大したことありません。しかしサッカーツアーや他のツアーは元々きつきつの旅程なので、1日遅れは調整が大変なようでした。

いずれにしても初めての飛行機、しかも海外。とにかく感動しましたね。一路パキスタンのカラチを目指すので丁度シルクロード上空を飛ぶ感じです。時間帯も完全に昼行となったので飛行機からの眺めが最高でした。途中恨みの北京空港も見えました。黄河ゴビ砂漠タクラマカン砂漠などの絶景が続きます。

[タクラマカン砂漠]

やがて中国を過ぎて、カラコルム山脈も見えてきました。

[カラコルム山脈]

誰かがK2だって叫んでましたが、どれがK2だかは分かりませんでした。

そして午後3時半ごろ、パキスタンの首都イスラマバードに到着。ここでは1時間半ほど止まっていたと思います。


まだまだ遅れる

午後6時45分にはカラチに着いたかと思います。しかしここでまた問題。我々がトランジットするはずのカラチからフランクフルト行の飛行機はもう昨日出発してしまっています。しかもこれが週2便しかないのです。

さてどうするか。また義従兄たちはパキスタン航空と交渉です。結局明日コペンハーゲン行きの便に乗り、その便の帰路にフランクフルトに寄ってくれるということでした。特別便を出せとか、せめて往路に寄れと随分交渉したようですが、ここまでがやっと。パキスタン人との交渉はもう疲れたと義従兄は言っていました。これだと1日半くらいの遅れになりそうだとのこと。

とりあえず期せずして、パキスタンに一泊です。ただ入国手続きはしません。空港内のホテルに泊まりました。この時は先ほどの少年ともか○と同じ部屋に寝ましたが、確かトカゲが沢山いたのを覚えています。またウェイターにチップを要求されて取られました。チップって要求するものじゃない気がするが、これが生まれて初めてのチップです。

[カラチのエアポートホテル]

翌13日朝食を取っていたら、やはり朝一では飛行機が出ず、更に遅れそうとのこと。ここまでくると皆さんあまり驚いていませんでした。もう開き直っている感じした。

12時半カラチを出発、3時半にアテネ。そして、夜8時にコペンハーゲンに着きました。コペンハーゲンでは飛行機から降りもしませんでした。夜8時ですが、さすが北欧。まだ明るかったです。

[コペンハーゲン空港にて]

でも夜10時半には何とかフランクフルトに着きました。長い旅路だったので、空港で荷物が出てきた時は何かやたら感動しました。成田以来の再会?

この日はさすがに夜遅いのでサッカーチームに同行して、その宿舎(スポーツセンター)に一緒に泊めてもらいました。

翌14日朝スポーツセンター最寄りのオッヘという駅まで送ってもらって、やっとここから私のヨーロッパ旅行開始です。実に丸2日の遅れということになりました。


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