1989年 西ヨーロッパ旅行ハプニング集

2017/12/24

初の海外旅行、それも一人旅のバックパック、かつ一ヶ月も旅すると当然ハプニングの一つや二つあります。それらをここに纏めてみました。


飛行機欠航

旅の始まる前の出来事でもあるので別ページにしました。こちら1890年ヨーロッパ旅行出発をご覧下さい。


帰りの列車がない!

1989年8月30日(水)、ベルギーからフランス入りしたこの日はパリを少し見て、その足でロワール渓谷の拠点ツールに向いました。ツールについたのは夕方だったので、この日はもう明日古城を巡るツアーの申し込みだけして、ゆっくりしようと思っていました。そこでツアー申込しのためツール駅でインフォメーションセンターか何かを探していました。するととある日本人男性から安いホテルと古城巡りは電車で回れることを教わりました。

早速教わったホテルにチェックイン。この旅初めてのシングルです。それでもユースなどと変わらないとてもリーズナブルなお値段です。しかも駅の真ん前の抜群のロケーション。これはラッキー!

この旅はとにかく貧乏旅行。宿はユースホステルばかりでした。ユースはご存知のようにドミトリー形式なので、一つの部屋に沢山の人が一緒に寝ます。基本的に旅人なので立場は同じですから、それほど危険ということはないのですが、気が休まらないのは確かです。

それがこのツールで初めてのシングル。とても嬉しかったのは言うまでもありません。

その初めてのシングルホテルでゆっくりしながら時刻表を調べていると、何と今日一つ城を見て来れるではありませんか。アゼー・ル・リドー城というお城です。少々強行かもしれまえんが、まだ明るいうちに城の見学はできそうなので、これは行くしかないと思って早速手荷物だけ持って出かけました。

[アゼー・ル・リドー城]

城は期待に違わずとても素晴らしく、本当に無理してでも来て良かったと思いました。

ゆっくり城を見学して最寄の駅へ帰り、待合室で待っていると、駅員が何か言ってきました。何か時刻表を指しています。何々!! 何とこの日はもうツールへ帰る列車ないと言うのです。ガーン!うそでしょと思って、改めて確認すると、何と時刻表を私が読み誤っていたのです。列車は毎日ある訳ではなく、曜日によってない日があり、何とこの日(水曜日)は予定していた帰りの列車は無かったのです。これは不覚でした。土日ならダイヤが違うのは日本でも普通ですが、フランスのローカル線は平日でも毎日はないのです。

さてどうしようか。初めてのシングルに泊まれるというのに、よもや駅で野宿をするなど考えられません。しかも主だった荷物はホテルに置いてきているので、寝袋など野宿するために必要なものを持っていないのです。途方にくれたのは言うまでもありません。

絶対にツールへ、ホテルへ帰りたい。しかし駅前はタクシーもバスもない閑散としたところ。まあたとえタクシーがあっても高いでしょうから、せっかく安くシングルホテルに泊まれた意味がありません。でも帰れないよりはましか。しかしタクシーも捕まりそうにありません。

そこで一念発起して一か八かヒッチハイクすることにしました。ただどこに行けば車が走っているのか。それにちゃんとツールへ向かう車をヒッチする必要があります。実は駅から城まで行く途中に幹線道路っぽい道路をくぐったのを思い出しました。あそこであれば何とかなるかもと思いました。

幹線道路までくると、小さな高速道路のインターのようなものがあり、その入り口を見つけました。看板に「ツール」と書いてあります。よし!ここで待てばツールへ向かう車が来るはずと思い、その入り口で待っていると、すぐに捕まり乗せてもらました。ラッキー!と思ったのですが、幹線道路の本線に入ってから方向が逆だというのです。乗るときに「ツールへ」と言って乗ったと思うのですが、結局そこですぐ降ろされてしまいました。

高速道路上に降ろされてしまった訳ですが、反対車線に行って再びヒッチハイクを始めました。するとこれまたすぐに止まってくれました。たぶん2,3台目だったと思います。聞くとまさにツールまで行くとのこと。

[ヒッチハイクでツールまで乗せてくれたおじさん]

感謝感謝ですがフランス語が殆どしゃべれず、メルシーを連発することしかできませんでした。ただシオンの人だということは何となく話して分かりました。

しかもたまたまですが、降ろしてくれたところは私が泊まるホテルのほぼ真ん前。結局当初予定していた時間よりも早くツールに帰って来れてしまったのです。


再びヒッチハイク

8月31日、昨日の失敗があるので、今日はしっかり曜日も確認して、城めぐりの計画を立てました。電車の路線は基本的にツールを中心に放射状に伸びている関係もあって、どうしてもどこかの城へ行くと、一旦ツールに戻らないと次の城に行けないパターンばかりです。 本数も決して多くはないので効率が悪く、どうしても午前に1箇所、午後1箇所の日に2箇所しかいけません。

仕方なく、この日は午前にアンボワーズ城、午後にシュノンソー城に行く計画を立てました。 シュノンソー城に着くのは午後一なのでその後夜まで時間は十分にあるのですが、ツールに戻る電車が夕方遅くまでありません。そのためシュノンソーで無駄に足止めとなり、もう一つ城をめぐる時間がとれないのです。

[アンボワーズ城]

午前中アンボワーズ城へいく途中、台湾からきて旅をしているという鍾親子(母と息子)と仲良くなりました。鍾さんはとても日本語が堪能だったのでいろいろと話をしました。 彼女はとてもたくましい旅人でした。城の入場料を節約するため裏(出口)から忘れ物をしたと言って入るのです。息子の方はとても大人しくて、母親のすることに着いていけない感じでした。勿論私は正門(入口)からちゃんと入場料を払って入ってます。

彼女曰く、この後ツールに戻ってシュノンソー城に行くというので、私と同じだと思ったのですが、その先がすごかったのです。そのまま夕方の電車を待つのではなく、ヒッチハイクでツールに戻るというのです。そうすれば早ければ3時頃にはツールに着くので、もう一つどこかの城に行けるという訳です。

昨日のヒッチハイクの成功に自信をもっていたこともあって、私もこの鍾さんの計画に乗りました。その後一緒にツールに戻り、シュノンソー城も一緒に行ったのです。ところがシュノンソー城では鍾さんが例の裏からの入場に失敗します。警備員が子供は置いていけというのです。さすがですね、企みを見抜かれたのです。

鍾さんと警備員が揉めているので、放っておいて私は正門から入場料を払って入りました。そのため鍾さん達とはぐれてしまったのです。これだと一人でヒッチハイクするしかないかなと思い、少し不安になりました。まあ昨日はうまくいったのだから大丈夫だろうとは思いましたが、何となく不安で観光に身が入らなかったです。

[シュノンソー城]

そのため早々に城を出て、大きな通りがあったので一人でヒッチハイクを始めました。しかし今回は一向に止まってくれません。結局3時頃諦めて駅へ向かおうとしたら、鍾さん親子と再会したのです。

ここで一緒にヒッチハイクを再開しましたが、やはり一向に止まってくれません。もしかしたら3人は人数も多いし、私が男なので敬遠されているのかと思い、私は影に隠れたのです。

案の定、鍾さん親子だけでヒッチハイクをしたら、すぐに止まってくれたのです。しめしめ。止まったらこっちのものです。鍾さんが私を呼び寄せます。止まってくれたのはツールでフランス語の勉強をしているというスイス人でした。

何とかヒッチハイクに成功し、4時前にツールに着きました。これなら何とかもう一つ行けそうです。鍾さん達はこれからブロア城へ向かい、そのままパリに向かうこととしました。私は今日もツールに泊まるので、ヴィランドリー城へいって帰ってくる予定で、その列車の出発時刻は17時20分です。鍾親子はすぐの出発だったので、見送って別れました。

[台湾から来た鍾親子 in ツール駅]

鍾親子と別れた後、列車まで時間がありますが、もう一度タイムテーブルを見てみると、何とヴィランドリー城から帰りの電車は今日木曜日はないではありませんか。今日になって急に立てた予定だったこともありますが、またしても見誤っていたのです。危うく昨日の二の舞でした。まあ昨日と同じように帰りはヒッチハイクという手もない訳ではありませんが、今日のこともあるので、もうヒッチハイクはこりごりと思っていました。

他に今日行って帰ってこれる城がないか調べたのですが、どうしてもないのです。仕方なくもうこの日はゆっくり過ごすこととしました。

結局ツールに1日半ほどいて、ヒッチハイクを2度もやったにも関わらず、3つしか城は見れませんでした。でもこの一連のツールでの出来事はこのヨーロッパ旅行の中でも一番記憶に残るハプニングとなり、城を沢山見れたこと以上にいい旅の思い出となりました。


宿が今一、そしてTGVも。。

9月1日、ツールでのロワール渓谷の観光はこれくらいにして、この日はもうパリに向かいました。当時はまだツールからパリへTGVは走ってなかったので、普通列車での移動です。今日は途中2箇所によってからパリまで行く予定でした。最初は世界遺産にもなっているシャルトル。その後、やはり世界遺産でずっと有名なヴェルサイユ宮殿に行きました。

[ヴェルサイユ宮殿]

2か所寄っての移動ですが、それでもパリのモンパルナス駅についたのは15時35分でした。パリは地球の歩き方に書いてあったA.E.P.Pという、ユースホステルではありませんが、やはりドミトリー形式の宿が安くて(1泊58F朝食付)ロケーションも悪くなかったので利用する予定でした。パリについてすぐにリュクサンブールにあるその宿に向かいましたが、この日はもうフルで泊まれませんでした。そのためとりあえずこの日は別の高いところに泊まるとして、明日からの予約をしたいところですが、ここは5泊以上しないといけなかったのです。私の予定ではパリは5泊だったので、今日泊まらないと4泊しかできない訳です。

A.E.P.Pに泊まれると思っていたので、他はあまり調べてませんでした。パリは基本的に非常に高いです。でもA.E.P.Pに泊まっていた日本人の女の子からCISPというところも安いと教わりました。早速そこに行ってみたのですが、何と1泊95Fもするのでやめました。

さてどうする。実は昨日鍾さんに安い宿の情報を聞いていました。そこを探してみたのです。しかしあまりしっかり確認してなかったので、どうしても見つかりませんでした。

仕方なくA.E.P.Pよりは高いのですが、地球の歩き方に載っているユースホステルをいくつかあたることにしました。どうしても今日見つからなければ野宿する覚悟もしました。

そして向かったのが地下鉄monge駅近くのY&Hでしたが朝食なしで75Fです。高いしロッカーもなく部屋も汚く最悪だなと思いましたが、もう疲れていたのでここに決めてしまいました。いくら夏とは言えやはり野宿は避けたいです。

ただとにかく泊っている他の連中が騒がしいのです。この日はそのためなかなか寝つけませんでした。これではとても5泊する気になれません。明日宿替えをしないといけないかと思いました。しかし翌朝、騒がしかった連中がチェックアウトしていったのです。やったーと思い、これならこのままここでもいいかなと思い始め、この日はとりあえず宿替えは保留して観光に出かけました。

この日はフォンテンブローに向かいました。昨日ヴェルサイユを見ているので正直何とも思いませんでしたね。その後当時世界最速だったTGVに乗るためリヨン駅に行きました。停車する最も近いディジョンに行って帰ってくるだけで本当にTGVに乗るだけです。

[当時世界最速鉄道TGV]

しかしリヨン駅に付いて、TGVの予約をしよう予約機を探したのですが見つからず、もうすぐTGVが出てしまうので飛び乗ってしまいました。事前予約しないで乗ってしまうとどうなるか分からなかったのですが、何とかなるだろうという甘い考えで乗ってしまったのです。

しかし車掌から車内だと予約料が50Fだと言われました。事前予約ならたった13Fなのです。これは高過ぎると抗議し支払いを拒否しました。それに席には座らないからと言ったのですが、座席料ではないということで通用しません。警察に突き出すと脅されたので仕方なく払いました。がっかりです。勿論ディジョンについて帰りはちゃんと事前予約して乗りました。

ちょっと余計な出費もあって、やはり宿はもっと安いところに替えたいと思って、別のユースホステルに電話しようとしたのですが、電話が全部テレフォンカードが必要だったので諦めました。

仕方なく宿に帰りましたが、日本人のリカという女の子と話したり、また彼女と他のアメリカ人などと一緒にセーヌ河畔にワインを持って繰り出したりして、それなりに旅を楽しんではいました。この日は煩いやつもいなかったため平穏に眠ることができたので、この宿でもいいかなと思い始めていました。

しかし翌朝、チェックインしてきた新顔がやはりアメリカ人で如何にも煩そうだったので、これに至って宿替えを決意したのです。すぐチェックアウトして、リパブリックにある別のユースホステルに向かいました。ところが朝であるにも関わらずフルだったのです。しかし別の空いているユースホステルを教えてくれました。記録にないのでよく覚えていませんが、恐らくこのリパブリックのユースから歩いて行けたか地下鉄でも数駅のところだったと思います。

そこもかなり並んでチェックインしたのですが1泊68Fで朝食付きです。ロッカーは無かったのですが3人部屋でとても綺麗でした。ルームメイトも南アフリカ人の人の好さそうな人。宿替え大正解でした。

ここに最後まで泊まってパリ観光を楽しみました。ただこのユースホステルは結構大きなところだったと思うのですが、3泊もしたのについに日本人には一人も会うことはなかったのです。


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