北京

2002年9月7日(土)夜成田をたって、その日に北京について一泊してますが、すぐ西安に移動してしまいました。その後敦煌、トルファンなど西域を観光してから、13日(金)に夜ウルムチをたって戻ってきて、翌日14日(土)に観光しています。

この日は先に万里の長城(八達嶺)の観光もしているので、あまり多くは回れてません。


天安門広場

天安門広場は最大で50万人を収容でき、国家行事や歴史上の大事件の舞台となってきました。そのため幾度となく革命運動の舞台にもなり抗争が起こってきた歴史があります。 我々の年代で記憶に鮮明なのは1989年の天安門事件ですね。北京を、いや中国を代表、象徴する場所です。

とにかく広い広場でした。

 
広場の西側に面して人民大会堂があります。全国人民代表大会などの議場として用いられるほか、外国使節・賓客の接受の場所としても使用されている。

 
こちらは人民英雄記念碑。中国革命の英雄の顕彰碑で1958年につくられたそうです。

 
広場の名前の由来になっている天安門ですが、実は広場に直接面してなくて、「長安街」通りを隔てています。

毛沢東の大きな写真が有名ですね。中国を代表する景観です。因みにその容姿などから紫禁城の一部のように思われるかもしれませんが、ここはまだ紫禁城ではありません。かつては紫禁城の正門だったそうですが。

 
楼上で毛沢東が中華人民共和国の建国宣言を行い、中華人民共和国の国章にもその姿が描かれるなど、中華人民共和国の象徴のひとつとされています。

 
毛沢東の写真のアップです。文化大革命ではひどいことをしましたが、今でも中国一の英雄なんですね。

 


紫禁城(故宮)

紫禁城(故宮)は、 明清朝の旧王宮であり、北京では圧倒的に重要な観光地です。「北京と瀋陽の明・清王朝皇宮」としてユネスコの世界文化遺産となっています。面積は 725,000平米もあり、全部見て回るにはまる1日かかります。

 
端門と呼ばれる門です。はずれの門ということなんでしょうね。天安門からかなり入ったところですが、実はまだここも紫禁城ではないのです。

 
午門と呼ばれる紫禁城の南の入り口で、ここが紫禁城の正門になります。端門からかなり入ったところにあり、ここからが正式な紫禁城ということになる訳です。世界最大の城門といわれ、3つある入り口のうち、中央が皇帝専用、両脇が貴族・官僚用のものだったそうです。コの字型に両翼がせり出した独特の形をしています。

前の端門にしても、この午門にしても、次の太和門にしても、立派な宮殿にしか見えませんが、あくまでもなのですね。

 
午門から更に進んでこちらは太和門です。ここから保和殿までが外朝と称される紫禁城最大のメインスポット

  
太和殿で式典が行なわれる際、下級の官吏はこの門の外で皇帝に拝礼したとのこと。

 
太和門をくぐると、いよいよ紫禁城のハイライトである太和殿が見えてきました。

紫禁城の正殿で、歴代皇帝の即位式や万寿節(皇帝の誕生日)、結婚、季節ごとの大きな式典、出征、そして皇帝の葬儀など宮廷の重要な式典を行った最も権威ある場所です。紫禁城といったらここというくらい代表的な場所です。

式典が行われた時は、太和殿前の広場に官吏たちがずらりと並び、全員で三跪九叩頭の礼を行った――まさにラストエンペラーの世界ですね。

 
ラストエンペラーのシーンが思い浮かびます。

 
太和殿を過ぎるとすぐに中和殿です。下の写真の手前が中和殿で、奥は保和殿です。

 
中和殿の中の玉座。中和殿は、大和殿で式典が行われた際の控えの間で、皇帝が大臣から祝辞を受けたり休憩したりしたところ。この玉座に座って祝辞を受けたんでしょうね。

 
保和殿の中の玉座。保和殿は明代は式典が行われる際の皇帝の着替えの間として使われていたとか。清代に入ると科挙の最終試験である殿試の会場としても使われたそうです。

外朝はここまで。

 
乾清門とその奥が乾清宮です。乾清門は瑠璃照壁という装飾が特徴的な内廷の正門です。

 
乾清宮です。ここから坤寧宮までが内廷のメインスポット。明代から清の康熙帝の頃まで皇帝の寝室でしたが、寝室が養心殿へ移ると、日常の政務を行なったり、宴会が開かれたりする場所となったようです。

 
乾清宮の玉座。後ろの「正大光明」の額に、皇位継承者の名を収めた箱が隠されたとされています。

 
紫禁城最北に位置する紫禁城最大の花園である御花園です。下の写真はその中にある御景亭。重陽の節句に皇帝や皇后が昇殿した建物と言われています。

 
この人、清王朝の末裔で、何と溥儀の甥だと言ってました。非常に怪しいですが、一応記念写真。

 
ここは既に紫禁城ではありません。その北に位置する景山公園です。山頂の万春亭は紫禁城を一望できる絶好の場所として有名らしいですが、疲れていて登りませんでした。


天壇

天壇は、明清代の皇帝が天に対して祭祀(祭天)を行った宗教的な場所(祭壇)です。敷地面積は約273万平米。1998年にユネスコの世界文化遺産に登録されました。因みにここはパッケージの観光コースに入ってなかったので、車で送ってもらっただけで、帰りは自分達でホテルまで帰ってきました。

天壇のシンボルである祈年殿です。大きさや形から天壇のシンボルとされていますが、実は重要度は後述する圜丘壇の方が高いそうです。

 
祈年殿では皇帝が正月の上辛五穀豊穣を祈りを捧げました。直径32m、高さ38m、25本の柱に支えられる祭壇で現存する中国最大の祭壇だそうです。

 
これはデジカメで撮った写真です。祈念殿ももう少しアップで撮りました。

 
圜丘壇と呼ばれる皇帝が天を祭るための儀式を執り行う場所です。毎年冬至に豊作を祈る儀式を行い、雨が少ない年は雨乞いを行ったそうです。

形は天円地方の宇宙観に則り円形です。また欄干や階段などが陰陽思想でいう最大の陽数である9や、その倍数で構成されています。各壇の直径を合計すると45丈であり、これは単に9の倍数という意味だけでなく、九五之尊という意味も持つとか。

下の写真はその圜丘壇からの写真。向こうにちょっと皇穹宇が見えます。

 
皇穹宇です。皇室の皇に、大空を表す穹と、宇宙の宇という字を書く。圜丘で祭事が行なわれる時、壇の上に置かれる天の神や、歴代の皇帝の位牌をふだん安置しておく所でだそうです。


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