チチェン・イツァ

著名な世界遺産であるマヤの遺跡 チチェン・イツァです。大きな、そして形のきれいなピラミッドがあるのでマヤ遺跡の中でも人気のスポットです。カンクンから車で2時間ほどというアクセスのよさも人気の秘密かもしれません。カンクンからグラン・セノーテもセットの日本人向け日帰りツアーで行ってきました。日本人向けなので日本人のガイドも付いていて分かりやすかったです。

しかし1990年に初めて訪れた際には、そのピラミッドも戦士の神殿も登ることができたのですが、すでに登ることは禁止されていました。それどころか殆どの遺跡の回りにロープが張られており、遺跡の一部に触れることすらできませんでした。


エントランスの建物は立派ですね。

エントランスからしばらく歩きます。

 


旧チチェン・イツァ・エリア

紀元後6世紀頃からの、マヤ独自の旧チチェン・イッツァ時代と10世紀以降のトルテカ文明と融合した新チチェン・イッツァ時代とに分けて説明するのが一般的です。

旧チチェン・イッツァ時代は、マヤ文明特徴の定期的な遷都で終了します。10世紀頃に再びこの地に移り住みだしましたが、その時は、中央高原のトルテカ文明の影響を受けていました。生贄の心臓を捧げるチャックモール像、戦士、生贄の頭蓋骨、ククルカンなどなどトルテカの特徴が顕著になっています。この時代を新チチェン・イッツァ時代としています。ウシュマルと同盟し権勢を誇りますが、13世紀にはマヤパンを中心とした反乱にあい滅亡します。

最初はメインのピラミッドを横目で見て、旧チチェン・イツァ・エリアへ。ただし厳密に旧チチェン・イツァ・エリアが旧チチェン・イツァ時代に使われ、新チチェン・イツァ・エリアが新チチェン・イツァ時代に使われていた訳ではなく、多少混じっているようです。しかし旧チチェン・イツァ・エリアの遺跡にはトルテカ文明の影響を受けたと思われるものはあまりなく、時代の差ははっきりと伺えます。

最初に見えてきたのが、高僧の墳墓です。 何気に立派なピラミッドですが、あまり有名ではないですね。

そのすぐ近くに金星の基壇があります。新チチェン・イツァ・エリアにも金星の基壇はあるのですが、なぜかそちらは写真を撮り損ねました。実はこちらも写真はなくてビデオからの切り出です。(そのため横長で恐縮です)


そして少し歩くと旧チチェン・イツァ・エリアのハイライト、天文台(別名カラコル)です。 マヤ文明と言えば、天文学が非常に発達していましたが、それを支える施設ですね。

 
旧チチャン・イツァ・エリアにありますが、新チチェンの時代にもさかんい使われており、この時代にも増築が繰り返されたようです。


次に見えてきたのが尼僧院。基壇は20mあり、その上に部屋が沢山あり、修道女の為の個室のようでスペイン人が勝手に尼僧院と命名しただけで、実際尼さんがいた訳ではありません。


尼僧院に付属した東別院です。 尼僧院の東正面とか裏側と紹介されている場合もあります。雨神チャックの顔が沢山彫られています。様式は旧チチェンの特徴であるチェネス様式です。壁一面に装飾を施すのがチェネス様式の特徴です。


尼僧院に隣接した教会と呼ばれる建物です。勿論実際は教会などではありません。こちらもチャックの顔が沢山。こちらも旧チチェンの特徴であるプーク様式です。チェネス様式と違い、上の方だけ装飾を施し、下の方は素のままというのがその特徴です。


この鍵穴のようなものは、蒸し風呂という説明がなされています。


壁面彫刻の神殿にあった三角形のマヤアーチ。強度は弧形のアーチより弱いですが、見た目を重視してこのようなアーチにしているとか。


赤い家の隣の球戯場です。新チチェンの球戯場よりはずっとこじんまりとしています。両脇の壁に傾斜がついてますが、これはマヤの球戯場の特徴なのですが、後で見る新チチェンの球戯場はこうなっていません。



新チチェン・イツァ・エリア

やっとここからメインエリアの新チチェン・イツァ・エリアです。

まずは何といってもククルカンのピラミッド。チチェン・イツァの最大のシンボルです。 別名エル・カスティージョ。ここで年賀状用の記念写真。ただ実はこの南西側は今一だったのです。


ククルカンのピラミッドを別の角度から撮ってみました。こちらが実はメインアングルです。完全に復元している北面と西面が見える角度です。因みに上に人がいますが、これは工事の人で一般の人が登ることは禁止されていました。22年前に来た時は登れたのですが。


さらに別の角度(東面)です。 東面の南側半分と南面は復元をあえてしていないのです。全部復元してしまうとオリジナルに対してどれくらい忠実に復元したかが返って分からなくなってしまうからという理由のようです。


こちらが完全に復元した正面である北面。唯一ククルカンの頭が階段下両サイドにあります。 これが有名な春分の日と秋分の日にククルカンの降臨を見ることができる場所です。


トルテカ文明の影響を端的に受けた生きた人間を生贄に捧げる習慣。それを象徴する儀式のひとつである球戯を行う球戯場です。 マヤの遺跡には球戯場のあるところが多いですが、その広さはここが突出しています。旧チチェンの球戯場とも明らかに違います。


球戯場のゴールです。この穴にゴムのボールを入れて競います。負けたチームは生贄になるのです。 (勝者が名誉の生贄になるとの説もありますが、だったら皆勝たないような。。)


生贄のレリーフ。切られた首から血が噴出し、それが大蛇になっているというお話。同様のレリーフが繰り返し描かれています。


球戯場の四隅にもにこのようなククルカンの頭があります。

 
その生贄の心臓を捧げたと言われるチャックモール像です。この仰向けになっているお腹の上にまだ動いている心臓を乗せたということです。そこに顔の乗せたようにして記念写真を撮るのが乙らしいです。


ジャガーの神殿です。 球戯場の東壁として建てられた小神殿ですが、ジャガーというよりは狛犬のような。。


球戯場のすぐ横には、ツォンパントリ(頭骸骨の基壇)があります。生贄の頭蓋骨を晒す場所でトルテカ文明の影響が最も大きく出ている遺跡です。

 
ツオンパントリのすぐ隣にジャガーと鷲の基壇があります。 写真の左の方で、右の方はツオンパントリの一部です。


ジャガーと鷲の基壇なので、ジャガーと鷲のレリーフが見えます。


戦士の神殿です。この角度だとちょっと見えませんが、この上に本物のチャックモール像があります。しかしここも登頂禁止でそれを間近で見れず残念でした。22年前に来た時はこちらも登れたのですが、その時はこの上にチャックモールがあるのを知らなくて、ククルカンのピラミッドに登って疲れたていたので登りませんでした。後でチャックモールがあったのを知って悔しい思いをしたのです。そのリベンジがまたしても果たせませんでした。


ビデオの方が望遠が効いたので、遠くから撮ってみました。何とかチャックモール像が見えるでしょうか。

 
トルテカの影響を受けていることは、トゥーラ遺跡と比較するとよく分かります。


戦士の神殿のすぐ横にある大テーブルの神殿です。


いろいろなところで物売りに声をかけられます。結局この時は何かを買ったような。


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