アメリカ合衆国旅行ハプニング集

2017/12/24

アメリカの旅行は数回に分かれていますが、トータルで2ヶ月近くになるので、やはりハプニング、トラブルはそれなりにありました。良く見るとグレイハウンド・バス絡みのものばかりですね。


荷物が見つからない

1990年8月は、学校(ガズデン・コミュニティ・カレッジ)の夏季休暇と1クォータ休んでヨーロッパをぐるっと回る旅にでました。家内も夏季休暇を利用してソルトレーク・シティにやはり留学で来ている弟のところへ行くため、一緒にガズデンを出ました。私の誕生日である8月23日です。メンフィスでトランジットして、翌朝セントルイスに到着しました。

ここで私は北上してシカゴへ。家内は西進してソルトレーク・シティへ向かうため別れるのですが、メンフィスからのバスから降りた時、家内の荷物が見つからなくなってしまいました。当初一緒に探していたのですが、見つかりません。私のシカゴ行きのバスの出発時間が迫っていました。

仕方なく私は出発することにしました。出発するバスの中から家内がバスディーポの荷物置き場あたりで中の様子をうかがっている後ろ姿を見ました。

もし荷物が見つからなかったら、どうするのでしょうか。たとえ見つかってもソルトレーク・シティ行きのバスに乗り遅れるかもしません。こんな誰も知る人のいない外国の地で女の子一人取り残されて、さぞ心細かったでしょう。

その様子を見ながら立たねばならない私としても非常に後ろ髪をひかれたのは言うまでもありません。この後私も旅を続けるので、その後どうなったかを確認することもできません。ソルトレーク・シティの弟の連絡先も聞いてなかったので、無事着いたのかを確認することもできないのです。

約2週間後、家内がガズデンに帰る頃に彼女のホームステイ先に電話して帰着を確認するまで、ことの顛末を知る由がありません。この後ずっと心残りのまま旅を続けることになったのです。


デトロイトで置いてけぼり

後ろ髪をひかれつつシカゴに着いたので、一応観光はしていましたが、心配で楽しめる気分ではありませんでした。とりあえず一泊してシアーズタワーなど観光をして1990年8月25日夜、シカゴをカナダ、トロントに向けて立ちました。チケットはトロントまで買えるのですが、チェックインの時荷物はデトロイトまでだとに言われました。途中、夜中の2時頃国境の街であるデトロイトでバスを乗り換え(トランジット)をしなければならないようです。国境を跨ぐのでトロントまでの直通バスはないのです。

しかしシカゴを出たバスはどんどん遅れていました。そのためデトロイトに着いたのは、乗り換えるトロント行きのバスが出る予定時間を過ぎていたのです。トランジットですから、前のバスから荷物をチェックアウトして、次のバスにチェックインしないといけないので、それなりの時間が必要ですが、その時間が全くありませんでした。

単純なバス交代なら荷物はグレハンのクルーが移動してくれるでしょうが、この時はバス交代ではなく、純粋なトランジットなのでグレハンのクルーが荷物移動をしてくれてません。皆自分で荷物を探してチェックアウトして持ってきていました。私も探したのですがすぐに見つかりません。やっと何とか見つけた時には何とトロント行きのバスはもう出てしまったのです。

運転手が乗り換えの時に乗客のために何もしてくれませんでした。恐らく現地の人は慣れているので、何てことはないのでしょうが、外国人の私は全く勝手が分からず困惑していたのに、それに対して何のケアもないのです。そもそも運転手はトランジットする客が揃ったかどうかの確認などはしないのでしょうか。

とにかく真夜中にデトロイトに置いてけぼりになった訳です。さて次のトロント行きのバスはいつ出るのか確認したら何と6時間も先でした。バスデューポは仮眠をとる場所もありません。そもそもデトロイトというと当時アメリカの中でも治安の悪さで有名でした。こんなところでゆっくり眠れるはずがありません。

他にも一人おばあさんが乗り遅れたようで、ぶつぶつ言ってました。

どう考えてもひどい話です。アメリカでも北部の人は冷たいと聞いていましたが、それを目の当たりにしたのです。

結局トロントについたのは、26日昼過ぎでした。それでもすぐにユースにチェックインして、その日もCNタワーなどを観光しています。


グレハン・バス故障

その後はトロントナイアガラの滝と順調に旅を続けていました。家内のことは気にかかりつつも、私としては旅を続けるほかないので、何とかしっかり楽しむよう心がけていました。ナイアガラの滝ではガズデンの学校の日本人のクラスメートにばったり会いました。やはり夏季休暇を利用して旅行に来ていたのです。皆と話して少し気持ちも落ち着きました。

8月28日夜8時半、トロントを立って、この旅の往路ではアメリカ最後の街ボストンに向かいました。夜10時頃にはまたアメリカ入国。ここはすんなり行きました。11時頃バッファローでトランジットして最終地ボストンに向かいます。

ところが翌朝29日、もうすぐボストンというところでバスが故障して立ち往生。どうなるかと思いましたが、ここはさすがに先進国。1時間もしないで代車が到着しました。いつまでも代車を用意しないどこかの国とは大分違いますね。

[バスを代車に乗り換えているところ]

事なきを得て、2時間程度の遅れでボストンに到着しました。


バッゲージ・ロスト

1990年12月6日、家内とガズデンをたって留学最後のメキシコ・中米旅行に出発しました。メキシコまでせっかくなので以前旅をして良かったニューオリンズサンアントニオに寄りながらメキシコを目指しました。

ニューオーリンズからグレハンの夜行バスで9日朝サンアントニオに着くと、ここで初めてのバッゲージ・ロストです。これだけ長いことグレハンで旅をしてきて、これまで無かったのが不思議なくらいですが、チェックインした荷物がどっかに行ってしまったのです。恐らく別便に積んでしまったと思われますが、行き先はちゃんと書いてあるので、そのうち(次の便くらいで)サンアントニオに届くだろうとのこと。

とりあえず後でまた来るとしてホテル探しに向かいました。ホテルはすぐチェックインして朝食をとり、しばらく寝てから、12時頃またバスディーポに行きました。もう荷物は届いていたので受け取って帰りました。

この後はちょっと街を観光して、夕方ホテルに戻って荷物を確認するとフィルムがないのです。どうもグレハンで盗まれたようです。よく見ると他にもいろいろ無くなっているものがありました。

飛行機と違って、グラハンくらいだと起こりがちな問題だと思っていたのですが、やはり起きました。結局これが最後に乗る夜行のグレハン・バスだったのですが、その最後の最後に遭遇してしまったことになります。


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