ハイエンド・バトル

2017/11/25


AMDの次なる施策

K6、K6-2でインテルの脅威となってきたAMDですが、次なる施策にうってでます。

1999年3月、K6-IIIを出します。クロックは400MHz。Celeron同様CPUコア内蔵の2次キャッシュを搭載し、しかもCeleronの128kBに対して256kBを載せてきて、従来のマザーボード上(フロントサイドバス)のキャッシュは3次キャッシュとして使うという画期的なものでした。

[AMD K6-IIIプロセッサー]

これは新時代を築くかと思ったのですが、時期尚早だったようです。当時の0.25μmプロセスでは256kBという大きな内蔵キャッシュはやはり相当の歩留まりの悪さを招き、ハイエンド並みの価格から一向に下がらず、クロックもなかなか上がりませんでした。最終的にも450MHz止まりでした。

一方十分な性能を持っていたので、ハイエンドクラスで戦うという選択肢もあったと思うのですが、ハイエンドはやはりクロックもそれなりに高いことが求められました。当時は高クロック神話というものがあって、高クロック=高性能となっていました。前述のようにK6-IIIは歩留まりがすこぶる悪く、クロックは当時のK6-2やCeleronよりも低くく、ハイエンドのIntel PentiumIIIに至っては、K6-IIIが出る2ヶ月も前に500MHzに達していて水をあけられていたのです。

そのためハイエンドクラスでもエントリークラスでも戦えない中途半端な位置づけになってしまいました。


Athlon登場

そこでAMDは早々にK6-IIIは諦め、クロックを上げられるCPUの開発をします。やはり方式としてはPentiumIIから始まり、その後PentiumIIIにも引き継がれて、高クロック対策としては有効であることが判明していた2次キャッシュを外出ししつつ、バックサイドバスに置き、サイズは512KBと多めにとる一方、速度もCPUの半分で動かすという方式です。(これを簡単にするため「外部キャッシュ方式」とします)

1999年8月、そうして登場するのがK7のコードネームで呼ばれていたAthlonです。方式が同じなので外観は正直PentiumIIとそっくりです。

[AMD Athlon K7]

この外部キャッシュ方式の採用は功を奏し、Athlonはいきなり600MHz版を出すことができます。設計も1からやり直し、K6-2やK6-IIIでは苦手としおり、Intel CPUに引けを取っていた浮動小数点演算能力を高めました。実際はOffiiceなどの通常のパソコンの処理では整数演算能力の方が要求され、その点ではK6-2なども十分だったのですが、ハイエンドクラスでは高いカバレッジ(隙の無さ)も必要で浮動小数点演算能力の低さはAMDにとって大きな課題でした。

隙のない、高クロックのAthlonは成功します。このCPUではAMDは一つ大きな賭けにでます。それは互換CPUとしては初めて専用のチップセットCPUソケット(Athlonの場合CPUスロットですが)を必要としたことです。K6-IIIまではIntelと同じチップセットが使えました。ソケットも同じなので全く同じマザーボードが使えたのです。

AthlonではマザーボードメーカーはAMD専用のマザーボードを作らねばなりません。これには当然市場価値が必要です。しかしAthlonの高い能力、高いクロック、更にはPentiumIIIよりも少し安かったという戦略的価格も手伝って、市場に受け入れられていきます。自作市場やショップブランド市場だけでなく、メーカー製パソコンにも続々採用されていったのです。

ついにAMDは互換CPUベンダーから脱皮して、名実ともにインテルの競合、ライバルメーカーになったのです。


クロックか実質能力か

この後もPentiumIIIとAthlonは壮絶なクロック競争を繰り広げますが、1999年11月、このバトルを次のステージに進めるあることが起こります。それは製造プロセスが0.18μmになったことです。この結果再びCPU内蔵キャッシュが検討されました。

それまでの0.25μmでは256kBの内蔵キャッシュはやはり歩留まりを悪くするとK6-IIIのところでも話しました。しかし0.18μmにまでなるとまた話は変わってくるのです。

事実AMDに先駆けて製造プロセス0.18μmを達成したインテルは、256kBのCPU内蔵キャッシュを搭載したコードネームCoppermineで呼ばれた新PentiumIIIを登場させます。クロックも数日前にAthlonが700MHzに達したばかりでしたが、いきなり733MHzでの登場となったのです。

[Intel PentiumIIIプロセッサー Coppermine]

しかしこの選択は微妙だったかもしれません。ことCPUの高クロック化に特化するなら、たとえ製造プロセス0.18μmと言えども内蔵キャッシュは鬼門です。当然実質の能力という点では、128kBのフルスピード内蔵キャッシュのCeleronが512kBのハーフスピード外部キャッシュのPentiumIIIと同クロックでは同等と言われていた訳ですから、内蔵キャッシュを256kBにすればずっと高いのは分かります。

しかし高クロック神話を考えると、せっかくの製造プロセス細微化を高クロック化だけでなく、実質能力アップにも使うのは正しい選択だったかは疑問です。

実際AMDは、インテルに遅れること僅か一か月で製造プロセス0.18μmになりますが、この時点で内蔵キャッシュにはしませんでした。依然外部キャッシュ方式を踏襲したのです。

その結果じわりじわりとクロックにおいてPentiumIIIとの差を広げていきます。特にこの頃AMDがとにかく高クロック化に邁進していたことを示す象徴的なこととして、CPUの高クロック化に着いてこない2次キャッシュの速度をCPUの半分から下げて2/5、更に下げて1/3にするといった、ちょっと姑息とも言える手段まで取ります。

これらが功を奏して、2000年4月、ついにAthlonはx86プロセッサーとしては史上初1GHzの大台に乗せるのです。この大台はやはり一つの象徴的な意味も持っていたので、インテルはさぞ悔しく、地団駄を踏んだことでしょう。内蔵キャッシュ化は早すぎたと後悔したはずです。

事実1GHzを先に達成したAMDは、2ヶ月後には256kBフルスピード内蔵キャッシュのコードネームThunderbirdをたった700MHzで涼しい顔で出してくるのです。まあこれもすぐに1GHz版が出ますが、あえて最初に700MHzを出したのはインテルへの当てつけだったようにも思えました。

[AMD Athlonプロセッサー Thunderbird]

結局インテルPentiumIIIはAMDに遅れること3ヶ月でやっと1GHzに達しますが、もう誰も注目してませんでした。


次なるステージ

AMDに1GHz達成において先を越されたことが、よっぽど悔しかったのか、その後インテルはこの時のAMD以上に高クロック化に邁進することになります。Pentium4の開発です。

[Intel Pentium 4プロセッサー]

これは作りそのものが高クロック化しやすいように工夫されています。キャッシュレイテンシーやパイプライン段数などなど徹底的に高クロック化しやすいような基礎設計を行ったのです。しかしこれはやはり実質の処理能力は落とす結果になります。でも結局、高クロック神話がある以上、クロック上げて何ぼなのです。最終的にPentium4は4GHzまでクロックを上げていくことになります。

その結果クロックではもの凄い勢いで引き離されたAMDもたまりません。実質能力が高くても市場では理解してもらえないのです。そこで実質能力を示す指標として、それまでしばらく封印していた秘策を持ち出します。それはモデルナンバーと呼ばれるCPUの命名方式です。これは昔互換CPUのメーカー(サイリックスやAMDなど)が、インテルのCPUよりクロックは低いけど実質の能力は高いことを示すためにPレーティングという指標を使っていましたが、これと全く同様の考え方です。Pレーティングはその後サイリックスとインテルとの訴訟になり、AMDはこの訴訟に直接関与していませんでしたが、もう使わないと発表していました。ある意味この公約を破った形です。

このモデルナンバーは、その数値がまさに同等の能力を持つPentium4のクロック数にリンクしていました。当初批判もありましたが、やがて一般消費者もCPUはクロックだけではないということが徐々に理解されるようになり、受け入れられていきました。


クロック競争の終焉

その後インテルも高クロック化が行き詰ってきます。製造プロセスを細微化しても、思うようにクロックが上がってこなくなってきたのです。また製造プロセスの細微化自体も緩慢になってきました。そのためインテルもクロック第一ではなくってきたので、インテル自身もモデルナンバー方式を採用していくことになるのです。

やがてCPUはマルチコア化の方向に舵を切ることなります。まあここからはまた違う話になるので、別の機会に。


 
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