今日的評価

2017/11/23


互換CPUと呼ばれて

今回自作の中心となったAMD K6-2というCPUは、所謂インテル互換CPUと呼ばれるものでした。世界で最初にマイクロプロセッサーを作ったインテルはその後も半導体素子の世界をリードし続けましたが、特にIBM PC(PC/AT互換機の前進)がインテルのCPU 8088(x86のバリエーション)を採用したことは、インテルの急成長のきっかけになりました。PC/AT互換機とMicrosoft OS(MS-DOSとその後継)が不動の地位を築いていくと共に、インテルも不動の地位を築くことになります。

[Intel 8088プロセッサー]

一方で当初はインテルも急速に増大するPC市場に対して、自社のみで需要をまかないきれないリスクがあり、また同じことを危惧していたIBMが他社とセカンドソース契約を結ぶよう要求したなどの事情、及びx86自体の普及の目的もあって、セカンドソース契約を推奨していました。そのためセカンドソース契約を締結した各社より互換製品クローン製品が発売されました。

AMDもその互換製品をつくるメーカーの一つでした。やがてx86の普及とともにインテルはセカンドソース契約をどんどん破棄していきます。その結果多くのメーカーは撤退(他の事業への選択と集中)するか、他社に吸収されていったのですが、最後まで頑張ったのがAMDでした。

互換CPUの中には、特定の性能においてインテルCPUを超えるものもあり、それなりに頑張ったメーカー(サイリックスなど)も多少はありました。しかし本当にインテルの市場を脅かすほどの性能を示したのはAMDだけでした。

その最初のCPUがK6でした。AMDは、やはりx86互換プロセッサメーカーであったNexGen社を買収し、当時NexGenが開発中だったNx686というx86互換CPUを手に入れました。AMDがもともと開発していたK6は性能がこのNx686より劣るものであったため、Nx686を元に開発した新プロセッサーをK6として1997年に市場に投入します。

[AMD K6プロセッサー]

本来、Nx686は前作Nx586やIntelのPentium Proなどと同様に2次キャッシュバスがフロントサイドバスから独立した構成の専用バス(バックサイドバス)・専用ソケットに対応するCPUとして開発が進められていましたが、AMDはそれをSocket7対応に変更し、バックサイドバス廃止に伴うペナルティ軽減のために1次キャッシュを増量(32+32=64KB)の上で、Nx686独自のマルチメディア命令をIntelからライセンスを受けMMX命令セットに変更して完成させたのです。

K6は出荷開始の段階でインテルのMMX Pentiumシリーズよりも高クロック(233MHz)動作モデルが提供され、発売当初は、x86系で最速クロック動作のCPUとなったため、AMDはK6を「インテル製品よりも高速な初めての互換プロセッサ」だとして大々的に売り出しました。その後インテルから発売されるPentiumIIなどに比べるとクロックあたりの命令数が少ないなども欠点もあり、更にK6-2へと改良されていきます。


パソコンCPUの価格破壊

いずれにしてもK6、そしてK6-2はインテルがはじめて脅威に感じた互換CPUだった訳ですが、何が一番怖かったのかと言うとそのコストパフォーマンスでした。元々互換CPUはインテルCPUに比べて格段に安かったのですが、所謂安かろう悪かろうだったのでインテルの脅威ではありませんでした。しかしK6はその互換CPUの安さをあまり変えることなく互角以上の性能となったのですから、市場も反応せざるをえません。

それまで事実上の独占で高価なCPUしか開発してこなかったインテルが本気で低価格CPUを作っていくきっかけになりました。まさにそれがCeleronプロセッサーなのですが、これはまた別の時に詳しく述べていきますが、低価格、エントリーモデルの本格的登場です。

[Intel Celeronプロセッサー]

それまではモデルとしてハイエンドミドルエントリーといった区別はなく、同じCPUでもクロックが違うものがあったのでそれがある程度この区別を担っていたとも言えますし、古いバージョンのCPU、例えばPentiumIIに対して、普通のPentiumといった世代の違いで差別化をしたり、互換CPUがエントリーモデルの役割を果たしてきた訳ですが、これを機にインテルも含めた各社がモデルとしてのレベル分けを本格的に始めたのです。要はそれぞれのレベル向けに最初から設計した専用モデルを作るようになってきたのです。

またこのレベル分けも、単に高性能だがとても高いハイエンド、低価格だが低性能のエントリーモデル、その中間のミドルクラスモデルとなっていた訳ではなく、エントリーモデルも十分な性能を持っていました。前述のようにコストパフォーマンスが問題なので、単に安ければいいという訳ではなかったからです。当然パフォーマンスの高いエントリーモデルの存在は、ハイエンドやミドルにも影響し、その価格も大幅に下げることになります。

また後述するようにAMDはハイエンドモデルでも比較的低価格で高性能なモデルを投入して、ハイエンドクラスCPUそのものの価格低下に寄与するのです。

いわばCPUの価格破壊を起こすことになりました。これまでのページでも書いた通り、1997年秋時点で11万円もしたPentiumIIに対し、たったの8ヶ月後にはそれと同等以上のものが2万円台前半で買えたのですから、劇的な価格破壊と言わざるをえません。そしてこのCPUの価格破壊は当然他のPCパーツにも及びパソコン自体の価格破壊に繋がっていきました。

現在の5万円パソコンなんて、K6が無かったらこんなに早く実現してないでしょう。


インテルライバルメーカーへの成長

K6の成功はAMDに自信と資金を与えました。それが後のK7(Athlon)開発に続きます。これは最早互換CPUではありませんでした。勿論PC/AT互換機でWindowsを動かさないといけないということでx86互換ではあったものの、それまでの互換CPUはメモリーやハードディスクの他、チップセットやソケット形状などあらゆるものがインテルCPU用に作ったものが使えることが条件のようなものでした。

[AMD Athlonプロセッサー]

しかしAthlonは専用のチップセットとソケットを使う必要がありました。これはAMDにとっては一つの賭けだったと思います。マザーボードのメーカーはインテルCPUでは使えないAMD CPU専用のマザーボードを作らねばなりません。それは市場価値がなければ作れません。果たしてマザーボードメーカーが作ってくれるのか。

しかし市場はしっかり反応を示し、多くのマザーボードメーカーがAMD CPU専用マザーボードを作ったのです。それにはこのAthlonの実力がものを言いました。Athlonはもはやエントリーモデルではありませんでした。インテルのハイエンドモデルPentiumIIIを多くの性能指標で凌駕しており、名実ともにハイエンドモデルとして市場に受け入れられたのです。AMDはもう互換メーカーではなく、インテルの競合、ライバルメーカーの地位につくことができたのです。

私も後にこのAthlonプロセッサーの発展形であるAthlonXPプロセッサーを使って自作することになります。


私のパソコンライフ変革

このようにK6はAMD自身の大きな発展に寄与するとともに、巨人インテルの戦略も変更させ、パソコン市場そのものを変革させるエポックメーキングなCPUとして歴史に刻まれたのです。

そのCPUを使って自作ができたことは、私のパソコンライフにおいても意義あるものだったと言えるでしょう。ちょっと大袈裟かな? でもこの後私もCPUに3万円以上かけることは決してなくなりました。この価格破壊によって、2万円台のミドルクラスCPUでも十分過ぎるほどの性能をもっていたからです。

そして他のパーツの価格破壊に伴って、私のパソコン全体にかけねばならない費用も大きく変わります。1997年には年間50万円近くかけていたものが、現在では年間10万円を超える年は稀で、数万円でも十分快適なパソコンライフが送れるようになったのです。私自身にとってもエポックメーキングなCPUだった訳ですね。


 
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