免許取消と再取得

2015/2/8     →免許再取得(普通車編)  →免許再取得(自動二輪編)


やっとそれなりの収入になって、初の新車、初のリッターバイク、初の逆輸入車と初物づくめであるZX-12Rを手に入れ、一戸建ての購入でバイク置き場も確保できる終の棲家にも辿りつき、一生バイクを降りることはないだろうと思っていました。しかしとんでもない落とし穴がその先に待っていようとは、若干有頂天ぎみの私には想像もできませんでした。

ことの始まりはZX-12R購入から半年が過ぎ、やっと馴らしも終り、少々飛ばしはじめた2003年1月26日(日)のことです。ちょっと保土ヶ谷バイパスあたりを走り、つくし野の2りん館に行った帰りでした。よく通る環状2号線の横浜の長い陸橋(横浜市神奈川区羽沢町405)です。いつものように気持ちよく飛ばしていました。ここは長く信号のない道が続くので自然とみな飛ばすと思います。昼の12時19分、そこでネズミ捕りをやっていたのです。

時速は98km/h、制限速度は60km/hだったので、38km/hオーバーということで一発免停の赤キップです。いやらしいところでネズミ捕りをやっているものです。

■赤キップ(38km/hオーバー)

この時は「くやしい」としか思いませんでした。運が無かったとしか考えてなかったです。反省なんて微塵もありませんでした。これまでも違反は数知れず、免停もこれで3回目。変な慣れみたいなものがあったようです。ただ実は違反で捕まるのは1989年4月以来実に14年ぶりでした。もちろんこの時点ではゴールド免許でした。

居住県内で捕まっているので、その後の手続きは早かったですね。2週間くらいで簡易裁判所呼出の通知が来たと思います。2月13日(木)保土ヶ谷簡易裁判所に出頭しました。横浜から10番バスに乗り、9時には着きました。内容は事実確認と不服などがないかだったと思いますが、この時点で罰金6万円が確定します。お金があればここで払うこともできたのですが、そのような話は事前に何もなかったので、用意してませんでした。言っておいてほしいですね。因みに保土ヶ谷簡易裁判所からは会社のオフィスまで歩ける距離だったので、帰りはそのまま歩いて出社しました。10時10分に裁判所を出て、10時35分には会社に着いたのです。

この後、2月20日(木)に休暇を取っていたので、車で保土ヶ谷簡易裁判所に行って罰金を払ってきました。よく覚えていませんが、わざわざもう一度裁判所まで行ったのは、振込みなどの支払い方法がなかったからでしょうか。

これにて刑事処分は終了ですが、まだ行政処分が残っています。所謂運転免許停止処分です。

免停の時はいつも免停講習を受けて短縮させてました。以下がその時の処分書ですが、裏面に短縮の記述があります。2月21日(金)に講習を受けているので、その日1日だけの停止ということです。一ヶ月(30日)免停は講習を受けると1日に短縮され、実質停止がなくなったようなものです。

運転免許停止処分書

免停講習は横浜市六角橋にある神奈川県警察交通安全センターで行われます。2月21日(金)この日も昨日に引き続き休暇(リフレッシュ休暇)だったので朝7:40に自宅を出て安全センターには8:52に着きました。9時10分から講習開始で、午前中は主に座学。昼は白楽にある六角家本店まで歩きこれが昼食。午後はビデオとシミュレータで、午後3時40分には終了しました。これで行政処分も完了です。

講習は全般的にそれなりに厳しく、きついビデオなども見せられるのですが、慣れもあって全然こたえませんでした。今までも免停の後、講習を受けて短縮し、その後もそれ以上のことにはならなかったので何とも思っていなかったのだと思います。

全く反省もないので、運転も全くといっていいほど変わりませんでした。特にZX-12Rに乗る以上、飛ばさないで乗るのは意味がないと考えて、ゆっくり交通規則を守って乗ろうなどと考えていませんでした。精々捕まった同じ場所では気をつけていたくらいです。それも安全運転をするというのではなく、捕まりたくないからでした。そして運命の日がやってきてしまいます。

 

2003年3月30日(日曜日)、いつものように西の方面を行こうと家を出て産業道路を下っていました。家を出てから10分も経っていません。向こうで旗を振って、停止を促しています。ネズミ捕りです。やられました。仕方なく誘導されるままに左の空き地へ(川崎市川崎区池上新町3-1-3)。今はコストコになっていますが、当時建設前の空き地(以前は千代田プロテックがあったようです)で、その空き地を利用して臨港警察がネズミ捕り(所謂サンイ会場)をしていたのです。こともあろうに臨港警察署の目の前です。不覚にも程があります。

聞くと105km/h出ていて50km/h制限道路なので、55km/hオーバー。これを聞いた瞬間はこれが何を意味するかは分かりませんでした。もし分かっていたらこの場で何とか許してもらうなどのあがきをしたかもしれません。ただ機械ではじき出されているので、数値を改竄することは一介の警邏では難しいでしょうし、警官が一人ではないですし、他の違反者もいるので特別処置はいずれにしても厳しかったと思います。

■赤キップ(55km/hオーバー)

何か大変なことになったような気もしましたし家のすぐ近くだったので、ツーリングはやめてすぐ家に戻りました。そして調べたのです。その結果普通に計算すると免許取り消しになるではありませんか。1月の免停で私は前歴1回となっています。前歴1回は10点で取り消しです(前歴なしの場合は15点)。そして50km/h以上の速度超過は何と12点減点なのです。紛れもなく取り消し対象です。

これが分かったときのショックと後悔の念はいかばかりか。せめて免停の時点で前歴1回の場合は、どれくらいで取り消しになり、その点数になるのはどのような違反をした時なのかを確認しておきべきでした。49km/hオーバーまでは6点なのです。いくらZX-12Rでも50km/h超過をしないように運転することは決して苦ではなかったはずです。そういう問題ではないと言われるかもしれませんが、やはり取り消しになった者からすると、その後の苦しみを考えるとそういう考えをしてしまいます。

1月の違反同様、県内(どころか市内)だったので、その後手続きも早く刑事処分の通知はすぐに来たと思います。4月17日(木)保土ヶ谷簡易裁判所に出頭しました。1月の時の経験があるので、予め12万円ほどお金を用意して行きました。しかし罰金は8万円でした。思ったより安かったです。しかしもはや罰金の8万円など刑事処分はどうでも良かったです。問題は行政処分の免許取消です。

この後、あきらめきれず取り消し回避の方法を模索します。しかし警察にコネがある訳でもなく、有力者を知っている訳でもありません。ネットで検索すると意見聴取時反省文を提出して、許してもらったという話が載っていました。これくらいしかないなと思って、最後のあがきとしてこれは試みました。

5月28日に通知どおりに二俣川に出頭しました。10時半意見聴取があり、反省の言葉を述べると共に持参した反省文を提出しました。受け取ってはもらえましたが13時に発表があり、あえなく取り消しとなったのです。反省文は読んでもらえたのかすら分かりません。それに対する話は何もありませんでした。この日同じ部屋に50人はいたでしょうか。全員に下のような処分書が提示され、はい、さよならです。

■運転免許取消処分書

この紙切れ一枚で、私がこれまで苦労して取得した全ての運転免許が露と消えたのです。もはやこの処分書に裏面はありません。最終処分であり、回避は勿論、短縮などの救済、減免処置も一切ないのです。

因みに私は欠格期間(免許の再取得の資格すらない期間)1でしたが、この処分の日、周りの人の処分書を横目で見ていると欠格期間5の人が沢山いました。一体何をすると欠格期間5年にもなるのでしょうか。

 

それはさておき、免許取消が現実のものとなり、今後のことを考えねばなりません。欠格期間は1年なので、1年経てば免許を再取得することができます。停止ではないので、1年経っても自動的に戻ってくる訳ではありませんが、ある意味再取得すればいいことです。何も一生取得できない訳ではありません。また刑務所に入る訳でもありませんし、前科者になった訳でもありません。どうってことないと言えばないのですが、たとえ運転をずっとしていた者でも、試験場での運転免許技能試験は非常に難しく、免許再取得が容易でないことは想像がつきました。

ただその時所有していた車はワゴンR。嫁が免許を持っているのでとりあえずあってもいいでしょう。しかしバイクについては盗難のリスクもあり、このリスクを乗れないまま1年以上負い続けるのは厳しいと思って、ZX-12Rは売ることにしました。ヤフーオークションで751,000円での落札です。乗り出し110万円で買ったバイクが1年足らずで75万円です。

さて免許再取得の長い道のりは以下へ。できるだけ時系列に普通車から読んで頂きたいです。自動二輪の方は普通車の方を読んだ前提で書いているからです。


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