限定解除

2013/3/16


89年にRG250ガンマを降りた後、アメリカ留学、世界放浪の旅、91年帰国、就職、92年結婚とめまぐるしい人生のイベントに忙殺されていて、バイクに乗れない日が続いてました。まあ金がなかったのも勿論原因のひとつではあります。多少落ち着いてきた1994年。依然金はありませんでしたが、久しぶりにバイクが乗りたくなり、ちょっと400ccあたりを探していました。しかしやはりここで念願の限定解除をして大型に乗ってみるかと思い立った訳です。仕事もあまり忙しい時期ではなく、なかなかこういう機会もないかなと考え、思い立ったが吉日です。試験はすべて平日に実施されるので、仕事が忙しい時期では厳しいのでこの機会を逃すと二度と取れないかもしれません。


■はじめての限定解除

しかし実は自動二輪の限定解除の挑戦はこれが初めてではありません。まだガンマに乗っていた1988に一度トライしています。まずはこの話をしておきましょう。

特別なきっかけがあってトライしたのかは覚えていません。まあ中型に乗っていれば多くの人が憧れますし、私はCB750Fが非常に好きでしたから取りたい気持ちはずっと持っていました。当時最も難関な試験と言われていましたが、バイク雑誌にはよく体験記が載っていたものです。実際どんなものか一度は試してみようと思ったのだと思います。

最初3月10日(木)朝に行ったのですが試験は午後だということで、午後は予定は入ってしまっていたため受けれませんでした。3月16日(水)午後にもう一度府中試験場へ行きました。走行試験に先立って事前審査が行われますが、その内容はセンタースタンドがけバイク起こし、及び8の字の引きまわし。試験車両は覚えていませんが、これは問題なくクリアしました。当時周りに大型バイクを乗っている人は一人もいなかったので、これまで大型バイクは一度も触ったことがありませんでしたが、事前審査は一発で合格しました。そしてこの頃は引き続き技能試験を受けることができました。



何人くらい受けていたかは全く覚えていませんが、私の前に数人が実施していました。それを見ているとみな一本橋のスタンバイでバイクが斜めになっています。コース図を見ても分かりにくいかと思いますが、一歩橋への進入がちょっとしたクランクのようになっていて、一本橋に対して真っ直ぐにバイクをスタンバイさせるのが難しいのです。そのため一本橋で失敗している人が多かったので、自分は絶対真っ直ぐスタンバイするぞと思いました。

そしていよいよ自分の番です。しかしまずハンドルが全然安定せず、やたらフラフラしたのです。そして問題の一本橋のスタンバイですが、真っ直ぐどころか斜め45度くらいで止まってしまいました。そのため一本橋は乗ることもできませんでした。勿論この時点で試験中止です。スタートから100mも走っていない最初の課題で終わりです。全体の1割もやってなかったでしょう。あまりの手ごたえの無さにショックが大きく、この後再度トライする気にもなりませんでした。

それから6年の歳月が流れ、やっと再トライとなった訳です。


■練習場選び

1994年夏、この頃もまだ教習所で取れるようにはなっていませんでしたが、そうなるかもしれないといったことがバイク雑誌などにも書かれていたようです。しかし雑誌を買ってなかったのでそのような噂は知りませんでした。当時は千葉県柏市に住んでいたので、限定解除の技能試験は幕張にある習志野試験場です。試験場によって試験の厳しさが違うようですが、当時はまだインターネットもやってないので、簡単に沢山の情報収集することができません。バイク雑誌の限定解除体験記が唯一の情報源でした。4,5回で受かっている人もいれば、十数回、または数十回かかっている人もいます。しかし全国の情報で習志野の例は見ることはできません。習志野が厳しいのか、甘いのかは殆ど分かりませんでした。しかし簡単な試験でないのは間違いありません。何の練習もせずに合格するとは思っていなかったので、きちんとした練習場へ行くべきと考えました。当時練習場は以前に比べると豊富にあったと思います。どのように調べたのかは覚えていませんが、八千代市にあるライディングスクエア アドバイスという大型二輪専用練習場に通うことにしました。7月2日(土)に入校し、翌日には練習を開始しました。

尚、試験場や練習場へは当時うちにあったHONDA LEAD 125で通いました。



この頃まだ車は持っていませんでした。練習場は現在京葉高速線の八千代緑が丘駅が傍にありますが、当時はまだこの鉄道は建設中で開通しておらず(開通は1996年)、最寄りの鉄道駅もなく、車かバイクなしで通うことは困難でした。中型二輪を持っている人が前提なので、中型バイクか車で通っている人が殆どだったと思います。自宅から40分くらいだったでしょうか。因みに試験場までは自宅から約1時間ほどですが、練習場はその途中にありました。


事前審査

さて限定解除には前述のように最初に事前審査を行います。これも勿論平日しかやってません。7月5日(火)に会社を午前半休して行きました。1988年の府中と違って、当時の習志野試験場では事前審査の日に続けて技能試験を受けることはできません。審査に合格したら技能試験日を予約する形になります。88年に事前審査は合格しているので、楽勝だとたかを括っていました。試験車両はVFR750です。

[試験車両VFR750K]


しかしセンタースタンドがけ、バイク起こしはできたのですが、8の字引きまわしではラインをはみ出してしまい、あえなく不合格です。まじかよと思いましたが、これは早く合格したかったので、翌日(6日(水))も無理して午前中に行きました。ところがまた同じ8の字で全く同じ失敗をして不合格です。この後何らかの試験対策をした記憶はありません。もう非常に焦ってましたが翌日(7日(木))も午前に行きました。いくら忙しくない時期とは言え、3日も連続で午前休みをどういう理由で取ったのかは覚えていません。そして3回目でやっと合格できたのです。

数年前に一度合格している事前審査に2度も落ちるとは当初全く想定していなかったので正直へこみました。これは後々私の精神に大きく影響することになります。


■練習

練習場ライディングスクエア アドバイスのコースは以下のような形です。

[アドバイスの練習コース]


場所柄殆どの練習生が習志野試験場で受けると思いますが、その習志野のコースとは全く違うものでした。まあ練習にはあまり支障はありません。練習内容は特に覚えていませんが、特別不得意な課題があった記憶はありません。一本橋などはどちらかと言うと得意だったように思います。波状路が若干苦手だったかなというくらいです。それでも何度か怒られながらやったなという記憶がありますが、それなりにちゃんと教えてくれたように思います。特別いやな思い出はありません。

基本的には土日を使って練習し、試験が午後の時は、その午前も練習してから行った時もありました。


■技能試験1回目から3回目

最初に試験を受けたのは7月18日(月)です。午前中は2時間練習して、午後の試験に行きました。試験は予約などは必要なかったです。やりたい日に行って受けることができます。因みに練習はこれまでに10時間やってました。試験コースは2つ。

[1号コース]


[2号コース]

2号コース図は1号コースと同じ部分は省略しています。

いずれも一本橋の進入真っ直ぐ入ってこれるので、府中の時のようなことはありません。

[一本橋]


その他コース上特にいやらしい箇所もありませんでした。
 
受付が終わると、二輪試験用の待合室に指定時間に集合するように指示がありますが、集合時間まで時間があるので、みなコースを歩きます。この日のコースは発表されているので、そのコースを歩いてイメージトレーニングをするのです。そのあと待合室に戻ります。この試験前の待合室の雰囲気が一番記憶に残っています。かなり重い空気が流れていました。多くの人が一人で来ているせいもありますが、会話がないのです。仲間と来ている人も楽しそうに話をすることはありません。まあしたくてもできる雰囲気ではないのです。イメージトレーニングを続けている人、コース図を見ている人、外のコースを眺めている人などみな黙って何かをしています。

試験官は高いところにある管制塔にいて、無線を通じて、バイクについているスピーカで指示などを行い、走行の様子を見ています。受験者は自分の試験が終わり、バイクから降りるとすぐその管制塔へ登って行って、結果と超簡単な講評を聞きます。結果はすぐ分かる訳です。落ちた人は帰るだけです。

[管制塔(右の建物の2階)]


最初のこの日がどっちのコースだったかは覚えていません。また試験内容も覚えていませんが、完走もできず落ちています

その後2回目3回目完走できませんでした。記録など何も付けてなかったので、どの日だったか覚えていないのですが、一度コースを間違えたこともあります。コース間違えは減点ではありませんが、舞い上がっている証拠なのでまず合格しません。波状路でエンストしてしまって中止になったことがあったような微かな記憶もありますが、一本橋の間違いかもしれません。また雨に降られたこともあったように記憶しています。

[波状路]


完走できない時によく皆が帰されるのが1コース図に書いてある「完走の分岐点」です。

[完走の分岐点]


これは1号コースも2号コースも同じです。ここを右折すると坂道急制動と進み、それはまさしく完走できるという意味でした。他の人には受験者への指示は聞こえませんが、ここを左折するとあぁ落ちたなと分かる訳です。そのため、皆人の試験を見ている時にはここに注目しています。私も何度かここで帰されたように思います。ただ帰される時は、それなりに自分も納得している内容だったと思います。なぜこれでだめなの?と怪訝に思った記憶がないからです。

しかし3回目を落ちたあたりから鬱気味になっていました。事前審査のこともあるので、自分の運動神経に自信がなくなってしまっていたのです。3回やってもまだ完走もできないのでは、一体合格はいつになるやら。もう始めてから一か月が経ちましたし、練習はもう18時間やっていました。実は3回目の時は、同じ練習場へ行っていた人が合格していました。彼は今回が私と同じ3回目でした。励みになったか、がっかりしたのか複雑な気持ちだったと思います。


■技能試験4回目

8月9日(火)の4回目を連れて行きました。保護者参観かと笑われそうですが、幸運の女神とでもいいましょうか、何かプラスに働くと思って連れて行ったのです。結果はじめての完走です。完走してもなかなか合格できないのが限定解除でしたが、管制塔へいくと合格とのお告げ。やったー!!何か講評ではいろいろ言われましたが合格は合格です。内容は全然覚えていません。

管制塔の入り口を出るとすぐに降りる階段があるのですが、その上から嫁が見えます。ここでガッツポーズをして合格を嫁に知らせました。やはり嫁は幸運の女神だったのです。

この後手続きのために、小一時間は待ったと思いますが、ルンルンなのであっという間でしたね。免許は裏面にハンコが押されるだけです。この時の免許証は今でも取っておいてあります。

[限定解除の判子が押された免許証裏面]

この後既に購入し、ナンバーの取得もできていたバイクを取りに行きました。憧れのHONDA CB750Fです。

取得日程をまとめると以下となります。

          7/1 2
            練習場
入校
3 4 5 6 7 8 9
練習1,2   事前審査@ 事前審査A 事前審査B
合格
  練習3,4
10 11 12 13 14 15 16
練習5,6
 
           
17 18 19 20 21 22 23
練習7,8 練習9,10
試験@
         
24 25 26 27 28 29 30
練習11,12   練習13,14
試験A
      練習15,16
31 8/1 2 3 4 5 6
練習17,18   試験B
 
      練習19,20
7 8 9 10 11 12 13
練習21,22   試験C
合格
       


細かく覚えていませんが、取得のための費用は全部で20万円くらいかかったのではないかと思います。


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