2スト250レーサーレプリカ史

2020/12/26


レーサーレプリカブームの発端は80年8月ヤマハ RZ250の登場との認識です。レーサーレプリカの扉を開いたのは83年のスズキ RG250Γ(ガンマ)だという意見もあるでしょう。逆にレーサーにできるだけ似せて作ったというモデルをレーサーレプリカというなら、70年代以前にも様々な時代に存在していました。

しかしレーサーレプリカブームと切っても切れないのが1980年代の空前のバイクブームです。1980年代のバイクブームは商業的にはホンダとヤマハの原付競争が大きなウェイトを占めています。実際バイク売り上げは1982年がピークで、原付のヘルメット義務化で急速に原付の売り上げが落ちて、バイク業界全体の売り上げ台数は1980年代後半にかけて次第に低下しているのです。

それでも1980年代全体が空前のバイクブームと評価されるのは、中型以上のバイクの隆盛でした。この隆盛をけん引したのが250ccクラスであり、2スト(2ストローク、2サイクル)でした。そういう意味で70年代後半の斜陽の2サイクルを完全復活させただけでなく、その時期、基本的に400クラスのお下がり程度の扱いだった250ccクラスバイクのスターダムにのし上げたRZ250こそ、バイクブームのそしてレーサーレプリカブームの発端だと言えるでしょう。

[YAMAHA RZ250]

水冷モノリンクサスなど市販レーサーTZ250からダイレクトにフィードバックし、スタイルもよく似ていました。そして何といってもとにかく速かった。他の250ccは言うに及ばず、400ccもシグナルGPで抜き去っていました。また2ストのデメリットでもあった低回転のトルクがないとい点が逆に高回転のトルクバンドに入った時の加速力を一層際立たせるので、そこをむしろ売りにしていました。ピーキーという言葉が使われましたが、基本的にネガティブなこの言葉は2ストにとっては誉め言葉だったのです。2ストの面白さを改めて世に示し、絶大な評価を受けます。

一方ホンダはこれに遅れること2年、82年6月4サイクルVT250Fで対抗(勿論同じ35馬力)します。V型エンジンや初のビキニカウルフロント16インチタイヤなどの目新しさもありつつ、大変乗りやすく女性にも受けて、爆発的に売れました。

[HONDA VT250F]

商業的には大成功だったのですが、実質的なパフォーマンスは実はRZに追いついていませんでした。また案の定4サイクルの乗りやすさは、過激さがないというデメリットでもあり、物足りなさを感じていたユーザーも多かったようです。そこでホンダも既に2サイクル開発を開始してしばらく経ち、MB50で市販車に参入(1979年)、レースでは実績も上げていました(1982年NS500で世界GP3勝)。大分2サイクル車にも自信がついてきており、渾身の作として83年2月にクラス最大の40馬力を引っ提げてMVX250Fを満を持して投入します。

[HONDA MVX250F]

御覧のようにスタイルはVT250Fにとても似ています。大成功したVTのスタイルを踏襲したのでしょう。昨年世界GPで3勝を挙げたワークスレーサーNS500をイメージしたユニークなV型3気筒エンジン、初めてチャンバーとサイレンサーを別体とするなどレーサーを意識した作りもありました。

これで隙が無くなったホンダが名実ともに250クラスを制したかと思いきや、何と同時にヤマハもフルモデルチェンジし、MVX250Fを越える43馬力になったRZ250Rを投入。ホンダの開発陣は唖然とすると共に地団駄踏んで悔しがったでしょう。こうした情報は事前に入手できなかったのでしょうか。

[YAMAHA RZ250R]

目玉機能としてYPVS(YAMAHA Power Valve System)という可変排気ポート機構が追加されていました。これはある意味2サイクルの欠点であるピーキーさを緩和するものですが、前述のように2サイクルの利点でもあるので、加減を間違うと命取りになります。しかしRZ-Rのセッティングは絶妙だったと思います。乗りにくい低回転は確実に増強し、その分ピークパワーを上げる余裕ができるのでそこはしっかり上げて、乗りやすくなったけど、2スト特有の高回転の胸のすくような加速は更に強化されていました。そのためこの機構は他社も後に追従していくことになります。尚、可変排気ポート機構の詳細については2サイクルの排気デバイスに書いているので参照して下さい。

その他見ての通り流行のビキニカウルの装備は忘れません。フロントダブルディスクブレーキで強化された足回り、RZ250の欠点だった冷え過ぎを考慮したサーモスタット付きラジエーターなど随所に改良が加えられており、ホンダはいきなり出鼻をくじかれた感じでした。

しかしその翌月にはホンダにとっては、これとも比較にならない程の悪夢が起こります。

スズキ RG250Γ(ガンマ)の登場です。83年3月のそのセンセーショナルな登場はその後のバイク業界の趨勢を決定づけたとも言えるほど衝撃的なものでした。

[SUZUKI RG250Γ]

45馬力のクラス最大のハイパフォーマンスは勿論、他社の度肝を抜くアルミフレームの採用、実質フルカウルとも言える大型ハーフカウル(これは直前に認可がおり、スズキはそれを待って一ヶ月遅らせたのでしょうが、してやったりといったところでしょう)。敢えてセンタースタンドを取ったり、ステップからラバーを取ったりなど規制に引っ掛からないでレーサーから持ってこれるものは何でもやってました。タコメーターの目盛り3,000rpm以下が無かったなんて実に芸が細かかったです。勿論セパハン、別体サイレンサー、ダブルディスクブレーキ、ダブルアンチノーズダイブなど他車が持っている魅力も一つも欠かしていません。

イメージしたのは勿論昨年の世界GPのチャンピオンマシンRGB500。3勝あげただけのNS500と比べても、こちらも役者が違います。しかもイメージしただけでなく、随所にダイレクト・コピーされたパーツが使われ、まさに本格的レーサーレプリカの元祖と言われる所以です。

とにかくけた違いの造りで、MVX250Fなどはガンマと比べるとまるで子供だましのオモチャ。大人と小学生程度の差でナンバーワンメーカー ホンダの面目丸潰れ、悔しがるといったレベルではなく、たった1ヶ月前にドヤ顔でMVX250Fを出してしまっていただけに、穴があったら入りたいくらいだったでしょう。

83年の3社のバトルはスズキの圧勝。ヤマハがRZ以来のファン層のおかげで、何とか次点と言える状態。ホンダMVX250Fは本来お話にもならなかったと思いますが、それでもVT250F成功の余韻なのか、根強いホンダファンが買ってくれたので、多少は売れたようです。しかしいざ乗ってみるとエンジンの焼き付き酷い煤煙などのトラブル多発でそのファンすら裏切ってしまいます。焼き付きを防ぐためオイルを増やすと煤煙、それを減らそうとすると焼き付きといったジレンマで大変苦しんだようです。バランスが取り難い3気筒を選んだこともその要因でした。ホンダにとって世紀の失敗作と言えるでしょう。 ホンダが社運をかけて改良型、新型開発に邁進したのは言うまでもありません。

 
しかしこの3メーカーのバトルに第4のメーカー、カワサキも参入します。もともとカワサキはマッハSSシリーズなど2サイクルは得意なメーカーであり、かつ1978年から1981年に世界GP250クラスで4連覇を成し遂げるという輝かしいレース戦績もあって、レーサーレプリカをつくるという点ではむしろ一番向いているメーカーでした。

ただ出遅れたのはそのレースで採用していたタンデムツインというエンジンレイアウトがどうしても高価になってしまうという点で市販車開発を躊躇していたためでした。しかし80年代前半の盛り上がってきたバイクブームでバイク価格が高騰、それでもインパクトのあるいい製品なら売れているという市場の動向から開発を決意して、翌84年4月にKR250を投入します。

[KAWASAKI KR250]

ユニークなタンデムツインエンジン。勿論アルミフレーム、そして実際も優れたパフォーマンスを持ち人気を博します。

一方社運をかけていたホンダの努力もほぼ同時期の84年5月のNS250Rに結実します。目玉は設計が難しい3気筒は捨てて、オーソドックスですがツインにしたこと。ただしV型は捨てません。そしてNSシリンダーATACです。アルミフレームはホンダ市販車としては初めてですが、もうこのクラスでは外せないので当然採用してます。

[HONDA NS250R]

とにかくMVXでは焼き付きで苦しんだので、シリンダー壁をニッケル(N)シリコン・カーバイド(S)で保護して焼き付き防止をしました。これがその頭文字を取ったNSシリンダーです。このお蔭でオイル量は減らすことができたので煤煙を軽減できました。

一方ATACは排気側にサブ・チャンバーを設けることで低速を稼ぐもの。ヤマハのYPVSと似たような効果が期待できる排気デバイスの一種ですが、方式は全く違うもの(サブ・チャンバー機構)です。これも詳細は2サイクルの排気デバイスをご覧下さい。

スタイルについては、MVXのところで「成功したVTに似せていた」と書きましたが、ある意味これもMVX失敗の原因の一つです。折角エンジンは無理に3気筒にしてまで活躍していたワークスレーサーNS500をイメージして作ったのにスタイルは全く似てませんでした。そこにRG500とスタイルまでそっくりのガンマが登場したのです。とにかくスペックだけでなくスタイルもレーサーに似せる、まさにそれがレプリカな訳ですが、むしろスペックを似せる以上に極めて肝要ということがガンマの成功で皆思い知った訳です。当然このNS250Rは同時開発の市販レーサーRS250Rに似せました。

そのかいあってかホンダが雪辱を果たします。しかしガンマの先進性はこれくらいでは抜き去るといった程まではいきません。従ってNS250Rの天下取りという言う程ではなく、ガンマ、KRと三つ巴といった状況でした。

またカワサキも早速85年4月にマイナーチェンジしてKR250Sを出します。その際KVSS(Kawasaki Valve Synchronization System)という排気デバイスを採用します。これは前述のNS250RのATAC(サブ・チャンバー機構)に近いものですが、三つ巴の状況が更に混沌としてきます。

 
さていつの間にか最下位になってしまったヤマハの動向が気になります。

ホンダほどではないにしても、ガンマの登場で地団駄踏んだのはヤマハも同じです。3年ぶりのフルモデルチェンジで自信をもって出したRZ250Rがたった1ヶ月で過去のバイクの如く扱われてしまったのですからたまりません。その後フルカウル版のRRを出したりしますが、スチールフレームなどの時代遅れは明白で気が付くと最下位。RZ250でこの流れを作ったという自負、元々2サイクルメーカーだった自負もあるヤマハも天下奪還に社運をかけます。

そして翌85年11月、満を持してTZR250を送り出します。デルタボックスフレームを纏ったその極めてレーシーなスタイルは同時開発の市販レーサーTZ250の兄弟であることは明白。公称馬力は当時の自主規制値だった45馬力でしたが、実質性能は60馬力あったのではと言われる高い性能によって、爆発的に売れることになります。

[YAMAHA TZR250]

このデルタボックスフレームは見るからに剛性が高そうで、すごい走りを期待させてくれました。TZR、いやヤマハのシンボルとして今後のTZRは勿論、4スト車を含むヤマハの他のクラスにも採用されていきます。またVT以来フロントタイヤは16インチが圧倒的となってましたが、クイック過ぎるということで17インチに変更。結局このサイズが後々までこのクラスだけでなくロードバイクの定番になります。

前述の実質性能ですが、この頃の国内自主規制による45馬力の公称馬力はリミッターによるもので、実際の性能は自主規制のない輸出仕様などを見ると分かりますが、優にこれを越えていました。リミッターを解除できるサーキットなどではその真価を発揮することができたのです。

事実当時盛んになっていたスポーツプロダクション(SP)レースでもワンメイクレースになるなど、見てくれだけなく実力も圧倒的で見事に天下奪還を果たします。

 
これが再び他社の後塵を拝することとなったホンダを更に刺激して怒涛のNSR開発へと駆り立てていくことになります。早くも翌86年10月にはNSR250R(MC16)を投入。大失敗だったMVX250F以来のV型エンジン。NSで3気筒を2気筒(ツイン)にしますが、その素質を信じて捨てなかったことがこのモデルで実を結びます。

[HONDA NSR250R MC16]

並列よりもエンジン幅を狭くできるためバンク角を深くできる、前面投影面積を狭くして空気抵抗を減らせる他、重心を低くすることができるなど、V型は走行性能上、様々な面で有利です。一方キャブレターやチャンバーなど吸排気システムの配置、レイアウトが並列に比べて極めて難しく鬼門になり兼ねません。どうしてもエアクリーナーからキャブレター、シリンダー、チャンバーを両気筒ともに綺麗に直線的に配置することができません。それができないと両気筒がアンバランスになって性能が出ない上、車体重量バランスも悪く前述のV型の良さが半減するか、場合によっては並列より悪くなってしまい本末転倒です。また整備性も悪くなり、特にレーサーとしては致命的なんです。

NS250Rでもまだいくつかの問題を克服できず苦労していますが、NSRではクランケースリードバルブ方式を採用し、2つのキャブレターを後方に並べて置くことで解決します。並列とほぼ変わらないくらいエアクリーナーからキャブレター、シリンダー、チャンバーを両気筒ともに綺麗に直線的に配置するこに成功したのです。V型2気筒のデメリットの殆どを克服し、多くのメリットを享受することに成功したことは、他社を苦しめその追従を許さなかった大きな要因と言えるでしょう。

また可変排気ポート機構RCバルブを採用してATACは廃止します。逆にインテーク側にサブ・チャンバーを設けて吸気の安定化を図っています。市販250クラスでは初めてカセット式ミッションを採用し、レースでの整備性を高めます。その他NSシリンダーは勿論踏襲。車体面でもNSRの一つの特徴として最終版まで採用され続けることになる目の字断面ツインスパーフレームになり、高い剛性と軽量化を両立しています。

またレーサーレプリカは元になっているレーサーに似せることが大事だと書きました。そのためできる限りレーサーと同じ仕様を採用するのですが、NSRはアプローチが逆でした。一旦レーサーを作り、そこから市販車としてどうしても変えないといけない部分だけ変えるといった手法です。そのためレーサーに保安部品を付けただけとも言われるほど酷似していました。カタログでは市販レーサーRS250Rと並べた写真が採用され、その同質性を強くアピールしていました。

その市販レーサーRS250R自体も前年(1985年)WGPフレディー・スペンサーが500ccクラスとダブルタイトルを取ったワークスレーサーRS250RW直系なので、レプリカ元としても申し分ありません。

最早目玉となるようなスペックが出尽くした感のある2サイクル250ccクラスなので、見た目からして度肝を抜くようなスペック、仕様こそありませんでしたが、これまで他社の方が優れていたような点は一通りそつなく、かつ高次元に備えて確実に実力をつけてきました。そのため早くも再び王者奪還です。

それでも83年のガンマ登場時の決して忘れることができない屈辱、85年TZRに抜かれた経験もあるのでホンダは全く安心せず開発の手を緩めません。No.1だったにも関わらず1年ちょっとたった88年1月には早速フルモデルチェンジに近い変更で後に伝説となるMC18(通称ハチハチ)をリリース。

[HONDA NSR250R MC18]

一番の目玉は市販車では初めてとなるコンピュータ制御のキャブレター、PGMキャブレターの採用です。今ではキャブなどなくインジェクションが当たり前ですが当時としては画期的で、点火系・排気デバイス(RCバルブ)・オイルポンプとも連携してコンピュータ制御するなど本格的なコンピュータ制御時代の幕を開けたのです。

NSRの特徴である目の字断面のツインスパーフレームは上部にテーパーをつけて異形5角形断面にすることで更に剛性を高めた他、ブレーキやフロントフォークなどの足回りも強化。スタイル面でも規制緩和で一段と低くなったハンドルも実に精悍でした。

しかし何と言っても本当に速かったです。TZRのところで話した実質馬力ですが、これが70馬力はあったと言われリミッター外しも実に簡単だったので、誰でもこの出力を体感できました。またちょっとチューンするだけでも77,8馬力になったと言われ、これは市販レーサーと変わりなく、もはやレプリカ(模造品)ではなくレーサーそのものですね。その過激な走りは走り屋の心を見事に捕らえて放さず、NSR人気を決定的なものにします。

更にはすぐに追加でSPグレードを出します。

[HONDA NSR250R SP MC18]

この時のSPはホイールをスタンダードのアルミニウム製からマグネシウム製にしただけですが、こうしたバリエーション戦略もいち早く取り入れて、様々な面で他社を引き離しにかかります。

 
ところでこの頃、スズキはどうだったのでしょう。83年ガンマでホンダ、ヤマハに赤っ恥をかかせその闘志に火をつけてしまった訳ですが、2大メーカーに本気になられるとナンバースリーメーカーとしては厳しかったでしょうが、ガンマ熱が冷めやらぬうちに4ストや250以外のクラスにもレーサーレプリカ攻勢をかけていきます。

翌年84年3月には4スト400クラスにGSX-Rを投入。これもかなり意欲的なモデルでした。そしてその翌85年には油冷エンジンをひっさげて4スト750ccクラスにも参入。さらに500ガンマ、そしてGSX-R1100とついにリッターバイクまでレーサーレプリカ旋風に巻き込みます。まさにこの頃まではレーサーレプリカの寵児、先駆者、伝道者として時代を謳歌していた感じです。

しかし本家の2スト250の方はマイナーチェンジ程度しかしていませんでした。やっと排気デバイス(サブチャンバー機構)であるSAEC(Suzuki Automatic Exhaust Controll)を採用するなどポイントは抑えていたものの、もう本気モードのホンダとヤマハにすっかり水をあけられていました。そこでやっと久々にこのクラスの王者奪還を目指して88年3月ホンダと同じV型ツインエンジンを採用したRGV250Γ(ガンマ)を投入します。

[SUZUKI RGV250Γ]

V型の採用はヤマハ程遅れなかったので、一部のホンダの特許は免れたのか比較的似たレイアウトにできたのですが、それでも完全にV型の問題点を克服できていませんでした。スズキも初めて可変排気ポート機構であるAETCを取り入れたり、コンピュータ制御も採用しますが、逆にこれといったユニークな目玉スペックはなく、同時にSPグレードを用意しましたが、既にハチハチになっていてSPグレードも持っていたNSRと比べたアドバンテージは全くなく王者奪還には程遠い結果でした。

このモデル自体は意欲的で魅力的なバイクでしたが、よく見るとNSRの方が先に、かついい形で実現しているものばかりでした。まあNSRが進み過ぎていたということなのでしょうが、これでは売れる訳がありません。むしろ後述するように少々迷走していたものの、差別化を図っていて、かつ根強いファンを持つTZRの方がまだ売れていていて、こちらにも全く追いついていない状況でした。

 
結論から言うと、結局NSRは最後まで250クラスの天下を他社に奪われることはありませんでしたが、どんな展開だったのかはもう少し見てみましょう。

カワサキはハチハチが出た時と同じ88年1月にKR-1をリリースしてます。

[KAWASAKI KR-1]

結局独自のタンデムツインは捨ててオーソドックスなパラレルツインにします。市場はVツインに向かっているのに今更?って感じでしたね。可変排気ポート機構であるKIPSを採用するなど基本的なところは抑えていましたが、NSRは勿論Vガンマにも程遠かったです。しかももうこれ以降大したモデルチェンジもせず、早くも1991年には生産終了してしまいます。最後発だったカワサキですが、結局戦線離脱も一番早かった訳です。やはり第4メーカーとしてはここまで激しい競争市場に投資し続ける体力は無かったのかもしれません。

KR-1をリリースした翌年の89年にはZXRシリーズを投入して4ストレーサーレプリカ市場に殴り込みをかけているので、既にレプリカに見切りをつけていたという訳ではないでしょうが、最早2スト250cc市場では敵わないと諦めたのでしょう。同時にゼッファーなども出して成功しているので、所謂選択と集中ですね。勝ち目のない市場に投資し続けても意味がないで正しい選択だと思います。
 

一方ヤマハのTZRは根強いファンに支えられて発売後しばらく大きなモデルチェンジはしませんでした。そのためNSRがハチハチくらいになるとさすがに立場が完全に逆転、2馬身くらい差をつけられていたのでTZRも89年2月にTZRとして初のフルモデルチェンジを行い、後方排気という非常にユニークな方式で挑戦してきます。

[YAMAHA TZR250 3MA]

3MAという型番からさんまと呼ばれたこのモデルが採用した後方排気システムは走行するバイクが前方から吸気するという訳ですからとても合理的で性能面では効果があったようですし、コンピュータ制御も採用しました。しかし斬新な反面デメリットも多く苦しんだようです。そのため期待したほど注目されませんでした。またこの89年式でもまだSPグレードなどはなく、依然ヤマハはバリエーション戦略に出ません。

一方ホンダの怒涛のNSR開発は王者となっても全く手を緩めません。エンジンこそ殆ど変えなかったので型番はMC18のままですが、この年も比較的大きめのマイナーチェンジをしています(89年2月)。

[HONDA NSR250R MC18 '89]

PGMはPGM-Uに進化しますが、エンジン特性はハチハチに比べマイルドになったと言われています。これがハチハチが伝説のバイクになる所以ですが、それでも他車を圧倒していたのは変わりありません。

またこれはあまり知られてませんが、この年までカウル、フェアリングって前輪の車軸(フロントアクスル)より前に出てはいけませんでした。そのためハチハチもちょっとカウル前方の潰れた感が否めません。しかしこの年からこの規制が取れたので、カウルの先頭の鼻がすっと高くできました(スラント化)。かっこいいだけでなく、空気抵抗も少ないので性能面でも有利です。比較的大きなスタイルに関わる規制緩和はこれが最後なので、ある意味レーサーレプリカとしてのスタイルが確立したのはこの年なんです。

またこの年はじめてSPモデルで乾式多板クラッチ、いわば乾クラが採用されます。国産市販車では初めてのことです。前述のようにハチハチのSPはホイールのマグネシウム化だけでしたが、これにこの乾クラとさらに加えて前後サスペンションの減衰力調整機構も付きました。このようにNSRの後のモデルや他社も追従する上位モデルの定番機能がこの時初めて付いたのです。

 
翌90年
は久しぶりに3社とも比較的大きなモデルチェンジをします。時系列でいくと最初はスズキです。

1月、足回りを大幅に強化してフルモデルチェンジ。フロントは倒立フォークを採用。倒立フォークは前年89年にカワサキがZXRシリーズで国産ロードスポーツとしては初めて採用して注目されました。また後述するNSR MC21のガルアームとほぼ同じ思想の湾曲型スイングアームを採用。右側だけ湾曲される左右非対称にして、元々難しいチャンバーの設計の自由度を増すのが目的です。湾曲した右側はスペースがあるでチャンバーを両方右側に逃がし、長さ等の調整が容易になりました。このような分かりやすい目玉スペックの他、フレームからエンジンまでほぼ全とっかえと言えるフルモデルチェンジでした。

[SUZUKI RGV250Γ VJ22A]

このモデルの特徴は少しでもNSRと差別化を図ろうとしたことが伺えます。しかし結果としてはNSRは勿論、TZRにも依然追いつけない状況を打開することはできませんでした。

またSPUグレードも用意して他社に先駆けて3グレード体制にします。しかしこのSPUはSPとの違いはクロスレシオのミッションだけで価格の違いもないので、後のNSRやTZRの3グレード体制とは違っていて、決して中間グレードとしての役割が果たせていません。実質的には2グレード体制のままですね。

翌2月にホンダNSRもMC21にフルモデルチェンジ。NSR発売以来毎年モデルチェンジしていることになりますが、目玉はガルアームと呼ばれるスイングアームで、これもチャンバー設計の自由度を高めるために左右非対象の構造をしています。効果はVガンマと同じです。

[HONDA NSR250R MC21]

目玉と言えるのはガルアームくらいですが、スズキ同様様々な部分を改良して確実に戦闘力をアップしてきています。ガンマが進んだ分、同じくらい、またはそれ以上にNSRも進むので結局差が縮まらないのです。

一方ヤマハも同月のモデルチェンジで倒立フォークを採用します。後方排気の並列ツインエンジンなど多くを踏襲しているので型番は3MAのままでしたが、これまで回転数だけに連動していたYPVSはアクセル開度とも関連させるという2Way化という改良も行われています。

[YAMAHA TZR250 3MA '90]

またこの時初めてSPグレードが登場します。スタンダードとの違いはヤマハ初採用の乾式クラッチの他、シリンダー、ピストン、クランクと言ったエンジン細部、更にクロスミッション、ワイドホイールなど見た目以外中身は全然違うといったものでした。NSRのSPのようなマグネシウムホイールこそ採用していませんが、NSRよりもスタンダードとの違いは遥かに多かったにも関わらず、価格差は10万円とNSRより少ないです。出遅れを取り戻そうとしたのでしょうが、結局このバリエーション戦略も全くヤマハの巻き返しに繋がりませんでした。

このように1990年の3社のモデルチェンジはスズキが一番広範でしたが、熟成を重ね、完成の域に達した感のあるNSRに全く追いつかず、その独走に歯止めがかかりません。根強いTZRファンを持つヤマハも同様でしたし、カワサキはもう場外といった構図もそのままです。

ところで90年の3社のモデルチェンジは足回りが多いですが、フロントの倒立フォークについて言うとホンダが採用してません。実はこの後ホンダはNSRでは最後まで採用しませんでした。ホンダは少々倒立フォークには消極的でしたね。後にRVFやNRで採用するので全く否定していた訳ではないと思いますが。

またガルアームや湾曲アームは実はヤマハがパテントを持ってました。そのためホンダもスズキも継続モデル、かつ93年までしか使えなかったのです。従ってホンダは後述するプロアームに変更。スズキは形状を変更してパテントを逃れたようです。

しかしヤマハの後方排気は結局失敗で多くの問題、不具合を抱えており、改良不能と判断して、早くも91年3月には放棄、それと共にやっとヤマハもV型ツインとします。またパテントを持っている湾曲スイングアームをこの時採用します。フルモデルチェンジということで名称も変わり、最後に「R」が付きます。

[YAMAHA TZR250R]

しかしNSRで採用している2サイクルV型ツインとしては理想的なエンジンレイアウトは特許の問題で採用できず、特に吸気系の配置に苦しみます。両気筒で全く違うところにキャブを配置したので、エアクリーナーなどもそれぞれ専用に設ける必要がありました。あまりVツインにしたメリットを出せなかったのです。

89年から3年連続で大きなモデルチェンジをしてきた訳ですが、それも後方排気の失敗が招いたもので、ヤマハは大事な時に遠回りをしてしまいました。またこのモデルのSPグレードはスタンダードより20万円も高くなりました。前モデル(3MA)では前述のように10万円差だったので倍も差が開いた訳です。このバリエーション戦略も成功したとは言えませんね。全く迷走しているといった印象しかなく、結果NSRとの差はつくばかりといった状態でした。

それを後目に同年5月、ホンダはNSRにSEグレードという中間グレードを出し、バリエーション戦略を強化します。

[HONDA NSR250R SE]

SPグレードは価格がスタンダードより11万円も高く、かつ数量限定の販売でもあり、まさにスポーツプロダクション(SP)レース専用でした。ストリートユースとしては、価格を抑えた限定販売でないものを求める声が多かったようです。特に違いが分かりやすい乾式クラッチだけでも採用したグレードが望まれたようで、それらの声に答えて、マグネシウムホイールをやめる、つまりスタンダードと同様アルミ合金を使うことで(結局スタンダードとの違いは乾式クラッチと前後サス減衰力調整機構)、スタンダードより4万円高に抑えて、かつ販売台数の数量を限定しないSEグレードを作ったのです。

ホンダの3グレード制による巧妙なバリエーション戦略は、まだ2グレードのヤマハや実質2グレードと言えるほぼ意味のないスズキの3グレードと違い、販売戦略として非常に有効でした。NSRの独走に拍車をかけることになります。

翌92年にはTZRでもNSRのSEに相当するスタンダードとSPの中間であるRSグレードが登場します。NSR SEと違って、スタンダードとの違いは乾式クラッチだけでしたが、20万円も高いSPと比べ3万円差で買えました。更に翌93年にはRSもNSR SE相当の前後サス減衰力調整機構も付けてNSRと全く同じ4万円差とするなど、何か必死にNSRを追いかけている感じでしたが、最早NSRの敵ではありませんでした。

NSRは93年のモデルチェンジ(MC28)でガルアームを継続することができないので、同じ効果が期待できるプロアームにしました。そもそもプロアームはリアタイヤの交換が極めて容易という特にレースでは大きなメリットを持ったものとして1987年にVFR400Rで採用し、ホンダが特許を持っていました。ホンダとしてはヤマハのパテント回避とレースでの使い勝手向上と一石二鳥だった訳で、結局この問題でホンダが苦しむことは全くありませんでした。

[HONDA NSR250R MC28]

Vガンマもスイングアームのパテント回避のためにマイナーチェンジをしますが、この頃になるともうNSRの一人勝ち状態は動かしがたいものになっています。

しかし時代はもうレーサーレプリカ自体の終焉に向かっていました。1989年登場のゼファーに端を発したネイキッドブームの到来と厳しくなる排ガス規制が大きな要因と言われてますが、免許法改正による大型車へのシフト、バブル崩壊、そもそもの若者のバイク離れなど要因は他にもいくつかあります。その中でもスズキは96年フルモデルチェンジを行います。

[レーサーレプリカ最後の新型 SUZUKI RGV-Γ250 VJ23A]

ただこのフルモデルチェンジはもはや王者の奪還や市場の活性化という目的はなく、83年にガンマを出してレーサーレプリカ時代の幕を開けたと自負しているスズキがその幕を閉じる役割も担う覚悟で投入したものと一般的には評価されています。

この時代の所謂レーサーレプリカは終焉しますが、技術の粋を集めたレーサーへの憧れはバイク乗りの基本的欲求なので、やがてMotoGPの隆盛と共に1000ccクラスのスーパースポーツへと引き継がれていくことになります。


 
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